円覚寺「阿弥陀如来像および両脇侍立像」【重要文化財】
画像は円覚寺でいただいた有料冊子にて
造立年
- 1271年(文永8年/鎌倉時代後期)
像高(高さ)
【本尊】阿弥陀如来:約42.4㎝
【左脇侍(向かい見て)】勢至菩薩:約33.2㎝
【右脇侍(向かい見て)】観音菩薩:約32.8㎝
重さ
本尊:約?㎏
【左脇侍(向かい見て)】勢至菩薩:約?kg
【右脇侍(向かい見て)】観音菩薩:約?kg
造立方法(制作様式)
一光三尊(俗称:善光寺式)
材質
鋳銅製/金メッキコーティング
作者
賀茂延時
本像の来歴(歴史)
鎌倉時代になると善光寺信仰が隆盛し、信奉者の増大に伴って長野善光寺本尊のコピー(模造)が数多く作られるようになった。
本像はそのうちの1つとされ、禅宗寺院に伝来した善光寺式の阿弥陀如来像ということで、現存する数ある善光寺分身仏の中でも秀作として世に知られる。
造立年代の割り出し方法
本像の台座部分(阿弥陀台座)の蓮肉部(れんにく/蓮華台のこと)の枘(ほぞ/部材同士をツギ合わせるための加工部)に以下のような刻銘が見つかってい‥‥‥申す。ギャハっ
「文永八年十月十九日 四十八日 鋳奉」
「鋳物師 賀茂延時」
以上の刻銘を紐解くと‥‥、文永八年(1271年)10月19日 に鋳物師の賀茂延時が鋳造して奉納されたことが分かるが‥‥‥。ただ、「四十八日」は何を意味するのか?
四十八日については調査中だが、現在の49日の前日として故人の極楽往生を促進祈願するための処置なのか?
だとすれば本像は誰かの供養のために造立された可能性も考えられる。
円覚寺の創建は1282年!本像の制作年は1271年!‥‥アレ?
「1271年」と聞いて疑問が生じた方は中々のエンガックィー(「円覚寺しか勝たん派」の意)だが、考えて見れば円覚寺の創建は1282年なので、本像はそれ以前に造立されたことになる。
この事実から導き出せる解答としては、本像はもともと円覚寺に奉納される目的で造立されたのではなく、別の寺院へ奉納される予定だった‥‥もしくは円覚寺へ奉納するつもりで予定よりも早く完成したので一旦、別の寺院へ預けた‥‥などの可能性が考えられる。
いずれにしても円覚寺の前にドコかの寺院に安置されていた可能性は極めて高ぃ。
円覚寺が北条時宗の手によって創建された事実に基づくのならば、時宗ゆかりの寺院や邸内にて安置されていた可能性が高いと見れる。
なお、現在までの調べでは本像が作られた日に長野善光寺にて鶴岡八幡宮別当の隆弁が堂供養(堂の建立)を執行しており、その関連性も視野にいれた調査が進められてい‥‥‥申す。ドォっキュアっ(”堂供養”を表現)
円覚寺如来像の特徴
螺髪部と胸部が一鋳
螺髪部分を頭部に被せて、その頭部と胸部を一鋳(いっちゅう/一度に鋳成する技法)のもとに襟元で体躯(身体部分)に寄せる稀有な技法を用いて造立された、極めて貴重な尊像となる。
脇侍が童顔
円覚寺の三尊像の両脇侍像のお顔は数ある三尊像の中でも、やや童顔だと云われる。
「一光三尊様式」
「一光三尊様式」とは、「一光=1つの光背(こうはい/仏像の背中にあるどデカイ輪っかのこと)」の中に左右2躯(体)の仏像が収まっている様式を云ぅ。
本像は中尊(中央)の阿弥陀如来の光背がが大きく作られ、その光背に左右の菩薩像が組み込まれてい‥‥申す。ピカっ(”一光”だけに)
このように1つの光背の中に3体の仏像が収まる様式は善光寺の本尊に見られる特徴的な様式であることから、特別に「善光寺式」や、「一光三尊様式」などと呼ばれたりする。
「善光寺式」
厳密に「善光寺式」と「一光三尊式」とは意味合いが少し異なり、「善光寺式」とは次に挙げるような特徴が備わった仏像を示すと定義される。
- 1つの大きな光背の中に3体の仏像が収まる様式
- 脇侍が梵篋印(ぼんきょういん)をポーズをとる
- 臼(うす)型の蓮台に乗る
- 刀印の定印を組む
これらの特徴を有する尊像を「善光寺式三尊仏」と呼びならわす風潮があり、実際、善光寺本尊の分身仏とされる仏像の中にも、これらの特徴を踏襲するものが散見され、それらの仏像は例外なく善光寺式と呼ばれる。