鎌倉大仏(高徳院)「仁王門」と「仁王像」
造営年
不明
再建年
1768年(明和五年)頃
建築様式(造り)
八脚門
大きさ(幅)
約7.3m(中央約3.3m、両脇各約2m)
屋根の造り
切妻造、銅板葺(二重虹梁大瓶束式)
鎌倉大仏・高徳院「仁王門」の歴史・由来
高徳院の正面の入り口である山門は、仁王像(金剛力士像)が安置されていることから、通常、仁王門(におうもん)と呼ばれています。
この仁王門は、1700年代初頭に、仁王像と共に他所から移築されたと言われていますが、史料が乏しく、詳しいことはあまりわかっていません。
残っている史料によると、高徳院がほぼ全焼した江戸時代の1742年(寛保二年)の火災や、同じくほぼ全壊した1923年(大正十二年)の関東大震災の際も、
この仁王門は失われず、その形を留めたということです。
また、2011年の東日本大震災の揺れに起因するダメージもほとんどなかったようです。
銅板葺の屋根の部分はあまり傷んでいないということで、2012年の仁王門の修理の際も、清掃作業のみが行われています。
鎌倉大仏・高徳院「仁王門」の建築様式(造り)・特徴
八脚門
八脚門とは、主な柱が8本ある門のことです。
高徳院の仁王門を正面から見ると、仁王像の両脇に2本ずつ、合わせて4本の太い柱が見えます。
これが後ろ側にもあるので、合わせて8本というわけです。
切妻造
切妻造の屋根とは、本を伏せたように、二方向に斜面を持つ屋根のことで、寺院の門の屋根にはよく見られる造りです。
破風尻飾りと冠木飾り
日光東照宮や上野東照宮などに見られる見事な金飾りが見えます。特に破風尻の金飾りと鏑木の金飾りの金細工が見事。
二重虹梁大瓶束式
仁王門の側面の屋根を支える部分を見ると、「二重虹梁大瓶束式」という造りになっています。
虹梁(こうりょう)という横に渡された木材の上に、彫刻が施された蟇股(かえるまた)を置き、その上にもう1本の虹梁が通っています。
この2本の虹梁の上のぷっくりとした形パーツが大瓶束(たいへいづか)です。
大瓶束は、虹梁と垂直方向に通っている棟木(むなぎ)を支えています。
蟇股には彫刻・彩色が施されており、装飾の抑えられたシンプルな見た目の仁王門に花を添えています。
青い雲模様と菊御紋があしらわれた蟇股
目を引くのは青色で雲形に刻まれた青色のデザインと中央に菊御門が彫り込まれた蟇股です。鳩除けのためかネットが張られています。
鎌倉大仏(高徳院)の仁王像
制作年
江戸時代中期(1742年(寛保二年)頃か)
仁王像の造り
木造寄木造
阿形像の大きさ・重さ
250.0cm、196kg
吽形像の大きさ・重さ
242.2cm、187kg
鎌倉大仏(高徳院)の仁王像の歴史・由来
高徳院の初代仁王像は、仁王門と共に、1700年代初頭に高徳院へやってきたとされています。
この初代仁王像は銅像でしたが、火災により損傷してしまい、代わりとして造られたのが、現在の木造寄木造の仁王像でした。
素材には上質な桂が使われ、目にはガラス製の玉眼(ぎょくがん)が埋め込まれていました。
仁王像は、経年劣化に加え東日本大震災の揺れでダメージを受け、天衣や頭部の一部が破損するなど傷んでいたため、2011年10月から2年あまりをかけて解体・修理が行われました。
この修理により、赤い肌とグレーの天衣の鮮やかな彩色もよみがえり、再び高徳院の守護神としての堂々とした姿と見せてくれています。
鎌倉大仏(高徳院)仁王門の扁額
扁額の大きさ(文字が彫り込まれた額面部分)
縦42.0cm、横112.5cm、厚さ2.5cm
高徳院の正式名称は、「大異山高徳院清浄泉寺(だいいざんこうとくいんしょうじょうせんじ)」といいます。
仁王門に掲げられた扁額に刻まれた「大異山」は、高徳院の山号というわけです。
2012年、仁王門を修理する際にこの扁額も清掃・修理され、文字と額の縁取り部分には金箔が押されています。
筆者は「林峯」という人物のようですが、この人物がいつの時代の人物でいつ頃この扁額が奉納されたのか?などのことは一切、不明とのことです。
鎌倉大仏(高徳院)「仁王門」の場所(地図)
高徳院の正面にある身障者用駐車場奥から参道に入り、しばらく歩くと仁王門が見えてきます。
高徳院境内で、私たち参拝者が最初にお目にかかる建物です。
仁王門の脇には売店が、門をくぐると券売所があります。
おわりに・・
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