【源頼朝法華堂の本尊】大倉幕府・持仏堂の6㎝ほどの小さな髻観音の正体を…..眼鏡磨きながら知るつもり❓

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源頼朝の持仏「もとどり観音(髻観音)」

⬆️上掲写真は大倉幕府跡から出土した鎌倉〜室町時代造立の銅製観音菩薩立像(頼朝卿伝来の髻観音ではない)※鎌倉歴史文化交流館

  • 像高:約5.4センチメートル
  • 幅:約2.5センチメートル(伝)
  • 材質:芯部は銅製(銀メッキ加工)
  • 安置場所(収蔵):鶴岡八幡宮・宝物殿

髻観音(もとどりかんのん)の名前の由来

源頼朝卿が常に身に付けていられるようにと、自らの髻(もとどり)の中にしまいこんだことから、「髻観音」と呼ばれる。

髻観音の歴史

これはまだ源頼朝が京師(京の都)で生活していた時のこと。(頼朝卿は清和天皇の子孫にあたる河内源氏の源義朝の三男として生を得る。臣籍降下(しんせきこうか)したことによって源姓を名乗る)

1147年(久安三年)4月8日、源頼朝卿は源義朝の三男として尾張国愛知郡熱田(現在の愛知県名古屋市熱田区)の熱田神宮西側にあった神宮大宮司・藤原季範の別邸(現在の誓願寺)にてこの世に産声をあげる。

この後、都人として京都の館にて乳母と一緒に暮らすようになるのだが、頼朝卿が3歳を迎えたある日のこと、乳母が頼朝卿の健やかな成長を願って清水寺(京都)にて小さな6センチほどの観音像を授かり、それを頼朝卿にお守りとして手渡した。

頼朝卿は生涯、その観音像を大切にすることになるのだが、乳母より手渡されてから後はお守りとして常に身に付けていられるようにと、自らの髻(もとどり)の中にしまいこんだ。




石橋合戦での髻観音像にまつわるエピソード

頼朝卿の父・義朝は1160年(平治元年)12月9日の平治の乱にて大敗を喫すると、義朝の三男たる頼朝卿も伊豆国へ配流される運びとなった。

星霜経て頼朝卿は、伊豆の小勢力の氏族であった北条氏を頼って家人とし、ついに1180年(治承四年)4月27日 、平家討滅を掲げて挙兵するに到った。

しクぁし!

8月23日の石橋山の戦いにて平家方の将・大庭景親らに大敗を喫し、わずか6人ほどの家来と共に命からがら、近くの洞穴へ落ち延びたのだった。

洞穴にて頼朝卿は自らの死を予見し、もし仮に敵に討ち取られて髻の観音像を見つけ出された時、「源氏の総大将ともあろう者が最期に観音様の慈悲にすがったか笑笑笑〜」などと嘲笑されることを警戒した。

そこで源氏末代までの恥を晒さぬようにと、乳母よりもらった髪の毛で巻きつけるように結んでいた髻観音を取り外し、洞穴内の岩上に置いて手を合わせて祈りを捧げると、洞穴を後にしたのだった。

その後の頼朝卿の軌跡はご承知の通り、観音さまへの祈りが通じたのか、大勢の家来を引き連れて無事に鎌倉へ入部することに成功し、当地にて幕府を開くことになる。

なお、この一件は鎌倉幕府側の公式歴史書である「吾妻鏡(あずまかがみ)」にも記されており、なんでも、箱根権現(現在の箱根神社)の別当・行実が頼朝卿とその一行の命を助けたとある。

やがて鎌倉での生活に慣れてきた頼朝卿は、ふと、気がかりなことがド頭をよぎった。‥‥そぅ、あの洞穴に置いてきた小さな観音像のことだった。

居てもたってもいられなくなった頼朝卿は、自らを助けた箱根権現の行実を呼び寄せ、観音像を探してきて欲しいと請いた。

頼朝卿の手に戻ってきた観音像

箱根権現の行実に願い出てから1年が過ぎようとしていた頃、ようやく吉報が頼朝卿のもとへ届く。

その吉報とはすでに察しの通り、行実が小さな観音像を見つることができたとの知らせだった。

行実はその足で鎌倉に居る頼朝卿のもとへ行って観音像を手渡し、感謝感激した頼朝卿は行実(箱根権現)への帰依を示したのだった。

大倉御所(頼朝御所)の持仏堂に祀られた髻観音像

鎌倉へ無事に入部を果たした頼朝卿は、さっそく自身の寝所であり、政を執り行う場所となる大倉御所(おおくらごしょ)の建造を開始する。時に1180年(治承四年)10月のことだった。

それから数ヶ月経た後、自らが大切に持仏として髻に忍ばせた観音像を祀るための持仏堂を大倉御所内に建立する。

持仏堂にて法華経講讃が開始される

吾妻鏡の1188年(文治4年)4月23日条によると、源頼朝卿は鶴岡八幡宮寺二十五坊の宝蔵坊の住持・義慶を唱導師に請い、大倉御所内の持仏堂にて法華経講讃を始行したことが記される。




源頼朝卿の死後、持仏堂は法華堂と呼ばれ、頼朝卿の墓所となった

源頼朝卿は1199年(建久十年)正月13日に死没すると、御所にあった持仏堂は現在の頼朝の墓の地へ移築され、頼朝卿の遺骸はその持仏堂に葬られた。

そして、1200年(正治二年)になると法華堂と呼ばれるようになる。

それで現在、頼朝卿の髻観音像はドコにある?

頼朝卿の観音像は現在、鶴岡八幡宮の宝物殿(本宮内)に大切に収蔵される。

宝物殿には八幡宮に伝蔵される宝物類が収蔵され、それらが一般公開されているが、必ずしも頼朝卿の髻観音が観られるとは限らぬぅぁい。

鶴岡八幡宮・宝物殿の案内

開館時間:09:00〜16:00
休館日:なし(展示替え等による休館あり)
拝観料:
大人200円
小人(小学生)100円
※25名以上の団体は大人120円/小学生40円
場所:石階段をあがって本宮楼門をくぐり、左手奥(西側)の回廊内部に所在

八幡宮公式HP(URL):https://www.hachimangu.or.jp/……..(宝物殿)

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