「石清水の井戸(石清水井)」
由比若宮境内出入口から出ると三叉路になっているが、手前に延びる道を1分ほど直進した先には井戸が見える。
手前には看板が立てられているが、今ではハッキリきりきり高坂桐乃‥‥てなほど、ハッキリとは見えない。その度合いを例えると君💕の心の本音ほど文字がかすんで見えない💘。…どゆ意味や 高坂桐乃て誰や?
キャナリ(訳:かなり)凝った造りの外観)
ちょぃと、この井戸の外観に注目してもらぃトゥぁい。1,2,3‥‥👇
井戸の上部の形状が井桁状になっているが、よく見る削り込んだ木材を井桁(いげた)状に組み上げるのではなく、なんとぉぅ!石そのものを削り込んで井桁状にしている。
ちなみに下掲の写真は戦国時代の井桁に組み上げた木組みを用いた井戸。(ウィキペディアより引用)
⬆️福井県の一乗谷朝倉氏遺跡で復元された戦国時代の井戸。井桁を備え、つるべと桶で使用する。
井戸が地面より高い理由(井戸の組み方)
この井戸もそうだが、巷間でよく見る井戸はほとんど、地面より上にポコっと飛び出していて、井戸だというのが離れていてもすぐに分かる。
井戸作りの基本としては、地中を垂直方向に掘削することによって自噴井(じふんい)の水脈を見つけるのが、まずは最良の第一歩となる。ちなみに地面に対し垂直に掘った井戸を「竪井戸」という。
しかし例え自噴井を掘り当てたとしても、アニメやハリウッド映画で見られるような噴水のように水が吹き出すことはなぃ。せいぜい井戸底からジワジワと地下水や温水(温泉)などが湧き出す程度であろぅ。ふぉっ、ふぉっ…フォぉぉーっ! …君、誰や
井戸の上部に井桁状の木組みを置いたり、煉瓦(レンガ)を円柱状に積み上げる理由としては、土や土埃などが混入しないようにする、もしくはあやまって落ちないようにするための工夫でもある。
通常、井桁状に組み上げた木組みを井戸を囲むようにして上に載せている姿が散見されるが、この井戸のように石コロころころドコいった‥‥‥を競馬で大負けしたオッさんが便所でタンを吐き捨てるかの如く、クソほど石を削り倒して井桁を生成している。
分かりやすく言ぅと、もし石材を加工して井桁を組むにしても以下のように極力、組みやすく石を加工するのが普通。
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画像引用先:http://niwasyou.blog.fc2.com/
ところが、この井戸に目をやると、まるで一目惚れした地下アイドルに対し、クソ重てぇぐらいのLOVE入魂💖!ガチな思ぃ💕で待ち伏せするかの如く、激・本気モードで木材を井桁状に削りこんでいる。…長っ どんな度合いや
⬆️石材の表面を見ても分かるが風蝕作用でスリ減って形状が変化している。年代不明だが相当古い井戸だと分かる。
以上、この井戸は並並ならぬ思いや思惑があってこの場所に造られたものだと、まずは推し量ることができる。
石清水井の名前の由来
石清水八幡宮には「石清水社」という子社があるが、その付近に現在でも神事に使用されるほどのコンコンと湧き出ている霊泉があり、名前を「石清水井」という。
石清水八幡宮の石清水の名前の由来ともなった神聖な井戸になるとのこと。
その井戸を模したものが、この当該、井戸とされる。
関連記事:http://iwashimizu.or.jp/top.php(石清水八幡宮)
鎌倉には井戸が多い
考えてみれば鎌倉では井戸や泉を見かける機会が多ぃ。特に社寺付近に多い印象を受ける。
実際、「鎌倉十井」とも呼ばれた名水が湧き出る井戸が10個あるとかで、その中の1つが八幡宮から小町通り商店街へ入った瞬間にある。名前を「鉄の井」といぅ。
鎌倉は地下水が豊富にある
鎌倉市の地形的をちょぃとプチ上空から見ると、周囲を丘陵地帯・台地が取り巻き、南面が海に面していることから、主に海岸沿いに沖積低地(河川や海の堆積作用にて造成された地)が広がる。
⬆️鎌倉の地形。ちょぃとプチ上空から見たところ オホっ
鎌倉市の調査においても、これら3種に区分分けされてい‥‥‥申す。ギェヘィョオワっ
鎌倉は南西から北東にかけて山の標高が高まり、もっとも標高のある山が大平山の標高159.2 mとされる。台地は標高50~60メートル級が散見される平坦地となる。
これは宮島厳島神社の例でも挙げられるが、付近の海中に山(弥山)からの地下水が湧き出るようなことが、この鎌倉でも起こっていたといえる。つまり、下流域となる海近くを掘ると割と容易に地下水が湧き出したことが想像につく。
鎌倉の井戸は昭和以降、減少の一途をたどった
昭和40年代に鎌倉市が行なった調査によれば、市中だけで4,000を越える井戸があったことが報告されている。
明治に入った頃の鎌倉は夏時期の避暑のために皇族の別荘地(鎌倉御用邸)として利用されるなど、主に別荘が多い閑静な地域だった。
しクぁし!JR鎌倉駅が建設されてから以降、観光地として注目が集まり、観光客も増加する。
さらに道路が整備されるようになると、現在の横大路通り(県道204号線/金沢鎌倉線)の渋滞に代表されるように住み始める人が現れ、人口も増加した。
ちなみに金沢鎌倉線は1956年(昭和31年)に旧来の朝夷奈切通し(横浜・金沢との境目)の北側に開通した鎌倉における幹線道路となる。
‥‥‥とまぁ、前振りが長かったが、要は人口が劇的に増加したことにより、下水道整備の遅れが生じ、さらに使用量が増えたことに起因した地下水位の低下、それに加えトドメの会心の一撃として汚染による水質悪化が問題視されるようになり、利用できる井戸の数が激減した。
石清水井の水は現在も生活用水として飲水されたりしているのか?
当該、井戸の写真をご覧になれば分かるように、クソ重てぇ石板が最近のネタのキレの悪さに匹敵するほど、井戸上に重く乗っかかる恰好で蓋(ふた)がされている。….はぁ〜、ホンマ、最近ネタのキレが鎌倉の井戸級に枯渇。 …上手ぃ!イヨっ!ホっ!
この事実を以って長らくこの井戸は使用されていないことが分かる。ふぅ。
まぁ、水道がある現在に至っては井戸はもはや過去の産物でしかないのかもしれぬぉぁぃ。
なお、この石清水井は往時は生活を支える基幹用水として、実際に飲用されていたそうな。
石清水井の場所(地図)と行き方
以下は由比若宮からの行き方(ルート)になる。
正面から見た石清水の井の様子。現在、真後ろがマンションの敷地になっている。
石清水の井戸の場所(Googleマップ)
- 由比若宮から徒歩約30秒
- 鶴岡八幡宮から徒歩約20分
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