【東御門の歴史】地名の由来や意味とは❓|鎌倉市 雪ノ下 小字

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「東御門」とは❓

場所は清泉小学校東側を南北に縦断する「東御門通り」と荏柄天神参道との間の谷戸のこと。

大蔵御所の東門に面していたことに由来す。

吾妻鏡の1185年(文治元年)9月1日条によると、現在の東御門あたりに「比企四郎亭」が建っていたことが記されており、すなわち比企能員(ひきよしかず)の子「比企宗員(ひきむねかず)」となる。

1587年(天正十五年)12月13日、建長寺寺領坪帳案によると「六坪 東御門 十八紋」と記されており、安土桃山時代のこの当地は建長寺の寺領として認められていたことになる。

「東御門」という地名はなく雪ノ下の小字になる

西御門は町名があるに対し、現在の鎌倉では東御門と呼ばれる町名はない。

「雪ノ下」と呼ばれる町に属する形で小字となる。

江戸後期編纂の「鎌倉撹勝考」によると、「法華堂(頼朝の墓)より東の地に在り。右大将家の御所の東御門のありし地なり。よって地名とし、東みかとゝ称し民家あり」‥‥などと記されるように、かつては幕府の御門やその周辺を示した呼称が、いつしか地域を示すようになったという説がある。

毎度おなじみ❗️鎌倉青年団の「東御門跡」に立てられた石碑❗️

碑文

大蔵幕府ニ四門アリ方位ヲ以
テ名ヅク其東ニアルモノヲ東
御門ト謂フ𫝆(今)轉(転)ジテ地名トナ
ル法華堂ノ東方一帯ノ地即チ
是ナリ

大正十五年三月建・鎌倉町青年團

現代語訳

大蔵幕府にはかつて東西南北の方角にそれぞれ所定の門があった。
東の方角にある門を「東御門(ひがしごもん)」と言い、現在もその門名が転じて地名となってい‥‥る。クっ
東御門とは法華堂の東方一帯の当地を指す。

東御門の場所(地図)

清泉小学校の東側を流れる川を「東御門川」とも呼ぶ。近年の調査によると往時の大蔵御所の外堀という説もある。

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