【江島神社・辺津宮の境内社】八坂神社の歴史(天王祭/神幸祭の由来)orご利益とは?

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八坂神社【江島神社境内末社】

  • 読み方:やさかじんじゃ
  • 創建年:不明
  • 再建年:1844年(弘化元年)、2001年(平成14年)
  • 御祭神:建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこ)
  • 建築様式:入母屋造
  • 屋根の造り:銅葺
  • 社格:江島神社・末社
  • 旧称:天王社
  • 例祭:江ノ島天王祭(毎年7月中旬)※別名:神幸祭

八坂神社の御由緒(歴史)

江戸時代には「天王社」として祀られており、1873年(明治6年)に「八坂神社」と改称されています。

現在の社殿は2001年(平成13年)に改築された後の姿態とな〜る。

毎年、7月第1日曜日〜第2日曜日には神奈川の祭り50選に列する「江ノ島天王祭」が執行され〜る。

御神体は、珍しい建速須佐之男命の木造の神像で、かつては対岸の腰越・小動神社に奉置されていたもの。

時代を下ると、大波の影響で流失し、付近の漁師が見つけて拾い上げ、ふたたび、この辺津宮に還えした(奉祀)した。

漁師が話すには、どうやら御窟(おんいわや)前の海中に沈んでいたらしい。




八坂神社の内部の様子

⬆️社殿の内部の様子。御神体の前に観音開きの宮殿のようなものが見える。扉が閉じられているので御神体は拝めない。

八坂神社のご利益

八坂神社に奉斎される建速須佐之男命(たけはや すさのおのみこと)は、出雲国の八岐大蛇(やまたのおろち)退治伝説や蘇民将来(そみんしょうらい)説話でも知られ、神仏習合時代には釈尊の生誕地に因んで祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の守護神・「牛頭天王(ごずてんのう)」と呼ばれた。

須佐男神の神格・神威とは、生まれ持ったその凄まじきパワーを担保としたものであることから、病魔退散・疫病退散の神として広く信仰され、我が国の方々で信仰を集めた。

無論、当地・江の島もその信仰の潮流を受けて須佐男神を奉祀したものだと推考され〜る。

八坂神社の見どころ

神幸祭(天王祭)【藤沢市指定重要無形文化財】

八坂神社の例祭・天王祭(神幸祭)は、江戸時代以来の例祭であり、2020年(令和二年)4月1日に神奈川県指定重要無形文化財の指定を受け、今日に到る。

世にも珍しい海中神輿渡御として知られており、湘南の江ノ島の熱い夏を告げる風物詩の1つです。湘南唯一の夏祭りでもあ〜る。

神輿は勇ましい素っ裸の男連中に担がれ、対岸に鎮座する「腰越の小動神社(こゆるぎじんじゃ)」まで渡御します。

天王囃子も登場し、さらに演出を盛り立て〜る💘

天王祭の由来

冒頭でも述べたとおり、腰越に奉祀されていた御神体「建速須佐之男命」が大波にさらわれてて流失したらしいが、ヒゃ〜  それを大海士(だいかいし/素潜り漁師)が海中よりサルベージし、辺津宮に奉祀したと伝わ〜る。

この伝承を再現したのが毎年7月第二日曜日に執行される「神幸祭(しんこうさい)」であり、その前後数日間の一連の祭礼が天王祭とな〜る。

💋神幸祭の内容

神輿の海上渡御、東浦祭典、小動(こゆるぎ)神社渡御

天王祭の特徴

天王祭では漁師(大海士)と御神体の永遠の結縁を再現すべく、漁師主体の祭礼として執行され〜る。

調製した麦を神饌(しんせん/供物)として須佐男神へ供進し、撤饌(てっせん/お下がり)を直会(なおらい)として神人共食(しんじんきょうしょく)の上、ありたがく頂戴する。

なお、当祭礼の神輿渡御の折、先導して奉奏される「江の島囃子(はやし)」は神奈川県重要無形民族文化財の指定を受け〜る。

🐣囃子とは?

囃子とは、薄切り牛肉とタマネギをデミグラスソースで煮たも‥‥ではなく、歌舞伎や、寄席、落語、祭りなど、幅広いジャンルの伝統芸能で使用される楽曲のこと!!….ハヤシライス?




石製の狛犬像・阿吽一対

台座に「1781年(安永10年)」「江戸加賀町(現在の新宿区)」・「芝口(現在の港区)」の刻銘が見える。どうやらそれらの町衆が奉納した狛犬像らしい。

江の島の観光スポット一覧


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