一ノ鳥居の大きさや歴史とは❓|寒川神社

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寒川神社 一ノ鳥居

創建年 1796年(寛政八年)
寄進者 木内治右衛門
鳥居の形式 明神鳥居
材質 鉄筋コンクリート
建築様式 総 銅板包み
高さ 約5.3メートル
地巾 約4.5メートル
柱直径
柱間

寒川神社の鳥居はニノ鳥居がもっとも大きい

鳥居というものは神社入口の鳥居を「一ノ鳥居」とし、ニノ鳥居‥三ノ鳥居…と、本殿に向かっていくにつれ、小規模になっていく。

一ノ鳥居は神社の神威を発揚するシンボリックな存在として、概ね雄大な姿態を採る。

ところが寒川神社の場合、一ノ鳥居や三ノ鳥居と比較して、ニノ鳥居が飛び抜けて規模が大きく、当社の特徴・魅力の一つでも‥あっちゃぅ。

歴史

社伝によると、寒川神社の一ノ鳥居は1796年(寛政八年)、田端村(現・寒川町 ※1889年4月1日に併合)の住人、「木内治右衛門」なる人物が奉納(創建)したと伝わる。

寒川神社伝存の明治三年 十一月 編纂『社頭御調書上(兼勤村者頭共)』によると、当時は石造の鳥居だったらしく、大きさを丈 壱丈(約3メートル)、地巾 壱丈(約3メートル)と素敵に記す。

昭和四年十一月に一新する形で建て替えられる

昭和四年十一月、相模鉄道(俗称:「相鉄」)が、鉄筋コンクリート造の明神鳥居を寄進する。

昭和五十六年に現在の姿へ‥

寒川神社の一ノ鳥居をよく見ると、石造ではなく、金属製であることが分かる。

実は現在の寒川神社の一ノ鳥居は鉄筋コンクリート製の鳥居表面に銅板を打ちつけて、鳥居全体を酸性雨などを起因とした朽損から防護していることに‥あ、なっちゃぅ。

殊に、銅板包みは施工できる業者が少なく、あまつさえ、施工料金も高騰しているも、年数を経る毎に赤みが濃くなり、やがて青緑色へと変色するなど、趣のある風合いが楽しめるのも魅力の一つと‥なっちゃぅ。

一ノ鳥居の場所

↑上掲地図の目玉親父の場所が、最近 右鼻詰まって息でけん‥具合ほど噂の‥「一ノ鳥居」

二ノ鳥居は寒川神社社頭、参集殿の前あたりで今日も素敵に屹立する。

本殿(拝殿)から約1キロメートル、徒歩約15分💋

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