山田検校の銅像
- 像高:96cm
江の島と縁が深い山田検校の功績をたたえ、1917年(大正6年)の100年忌を記念して、山田検校の座像姿の銅造と、下記、幸田成幸(露伴)撰の顕彰碑が建てられています。
この銅造は残念無念ながら2代目の銅像です。当初の銅像は太平洋戦争の金属類回収令で供出されています。
近年、当時の銭型が見つかったことから、山田流筝曲協会の発願によって再建計画が成り、2004年(平成16年)4月元の台座に収められる形で除幕式が執り行われています。
再建した銅像の高さ96cmには意味があり、検校の晩年の姿がちょうど100㎝くらいであったことから、銅像のモチーフとされたようです。
山田検校顕彰碑
- 撰文:幸田露伴
- 書:小野鵞堂
銅像と同じく、山田流筝曲協会の発願によって幸田成幸(露伴)撰の顕彰碑も建てられています。
山田検校とはどういう人物?
読み:山田検校(やまだ けんぎょう)
生年: 1757年(宝暦7年)4月28日
没年: 1817年(文化14年)4月10日
尾張藩(愛知県)宝生流能楽師の三田了任の子。名は「斗養一」で「山田」は母方の姓。
幼くして失明しながらも、医師で箏奏者(琴)の山田松黒に師事。当時流行の河東節、一中節などの浄瑠璃の要素を導入し、斬新的な語り物的な箏曲の分野を確立。
後、江戸中・後期の箏曲家,山田流箏曲の流祖となる。
江ノ島に氏の碑がある理由は、氏が21歳の時に江の島に滞在し、「江の島の曲」を作曲したからである。
山田検校顕彰碑と(山田検校の銅像)がある場所
江島神社(奥津宮)の奥(しげみの中)。
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