「小林郷」の正式な場所や地名の由来を‥‥アクビしながら知りたぃの❓

スポンサードリンク

小林郷の正式な場所とはドコ❓

鶴岡八幡宮の歴史を調べていくと、必ずと言って良いほど登場するのが「小林郷」の文字。

しかしながら、今となっては小林郷という地名は存在せず、かつての小林郷の場所も未詳とされる。

ただ、現在までの度重なる調査結果では、ほぼ現在の雪ノ下に比定されるものとし、通説では現在の若宮社の社殿辺りとされてい‥‥‥申す。コヴォっ(”小林”の部分あたりを表現)

⬆️鶴岡八幡宮の本宮石段したに佇む「若宮社」

吾妻鏡には1180年(治承四年)10月12日、かつて由比郷にあった本八幡宮(下若宮/現在の由比若宮)を源頼朝卿が「小林郷ノ北山」へ移したのが現在の鶴岡八幡宮の発祥とされるが、鏡の1180年(治承四年)12月12日条によると、「頼朝卿が村里に号を授けた」とすることから、その時に名付けられたとみる見解もある。

なお、鎌倉時代を通してこれ以外に「小林郷」の名称は見当たらない。

小林郷は鎌倉谷七郷の1つだった

江戸後期に編纂された群書類従(ぐんしょるいじゅう)の「鶴岡八幡宮寺社務職次第」によると、小坂郷、葉山郷、津村郷、村岡郷、長尾郷、矢部郷とともに「鎌倉谷(やつ)七郷(しちごう)」に数えていることから、有史上における存在性は薄くとも、鎌倉の要衝とされていたことが分かる。




北条高時が闘犬を催した「鳥合原」が小林郷❓

厚木市飯山に位置する「飯山両社権現」所蔵の銅板背銘によると「相州 鎌倉郡 小林郷 於 烏合原」などと記されることから、小林郷とは北条高時が闘犬を催した「鳥合原」までの一帯を指す事になる。

太平記に記される「鳥合原」の場所とは、現在の鶴岡八幡宮の流鏑馬道の東方(東鳥居)のさらに東、西御門川(暗渠/地下)までの地を指すとする。

西御門川の場所

西御門川は現在の西御門の石碑辺りの地下を流下し、最終的には滑川へ到ることから、滑川の支流とされる。

一説に往時の大蔵御所の西側の堀とも云われる。

関連記事一覧

スポンサードリンク -Sponsored Link-


当サイトの内容には一部、専門性のある掲載がありますが、これらは信頼できる情報源を複数参照して掲載しているつもりです。 また、閲覧者様に予告なく内容を変更することがありますのでご了承下さい。