鶴岡八幡宮「白旗神社」
読み方
しらはたじんじゃ
造営年
1200年(正治二年)
ご祭神
源頼朝、源実朝
ご神徳
必勝、学業成就など
例祭
5月28日
「白旗神社」の名前の由来
白旗神社の社名は、源氏が掲げた「白旗」に由来しています。
白旗神社という名前の神社は、神奈川県を中心に、東日本に70社あまりあるとされています。
付近では頼朝卿の墓の石段下にある。
ご祭神は源頼朝または他の源氏の武将、あるいは源氏が氏神とした八幡神の場合が多数となっています。
鶴岡八幡宮「白旗神社」の歴史・由来
白旗神社は、もともと本宮の西側にありました。
頼朝が亡くなった翌年の1200年(正治二年)、「白旗大明神」の神号を朝廷から賜り、妻の北条政子または息子で鎌倉幕府の第二代将軍、源頼家が建立したと伝えられています。
江戸幕府の初代将軍、徳川家康の「東照大権現」という神号は有名ですが、源頼朝も同様に、「白旗大明神」として、白旗神社に祀られているんです。
1885年(明治18年)には、第三代将軍、源実朝を祀っていた柳営社(りゅうえいしゃ)という神社と合祀(ごうし)し、現在の場所に移されました。
柳営社の社殿は、同じ鶴岡八幡宮の敷地内にある、丸山稲荷社の社殿となっています。
白旗神社では、かつて源頼朝の命日と伝えられる1月13日に、神事が行われていたといいます。
現在では、5月28日に例祭、8月9日には実朝祭が行われています。
柳営社とは?
柳営社は鎌倉幕府第三代将軍、源実朝(右大臣)を祀っていた神社でした。
相模国風土記によれば「柳営明神社」と呼ばれ、現在、鶴岡八幡宮境内にある白旗神社の西側に祀られていたようです。
柳営社は、4代目将軍・頼経の発願により、創建に至ったものですが、至徳・応永の頃(1384年から1428年頃まで)は本社の管掌にあり、その後、境内にかつて存在した「浄国院」の所管に移管されています。
星霜幾ばくかを経て、明治時代になると柳営社は現在の白旗神社に合祀され今日に至ります。
つまり、源実朝は現在、この白旗神社にて、初代将軍で実朝の父である源頼朝と共に祀られていることになります。
話は少し逸れますが、かつて鶴岡八幡宮は神仏混淆の時代があり、境内には25からなる八幡宮寺(寺院)が軒を連ねていたのです。
浄国院とはその数ある坊舎の一院です。
鶴岡八幡宮「白旗神社」のご神徳
白旗神社には、ご祭神である源頼朝の武功にあやかろうと、必勝を祈願するため、多くの参拝者が訪れています。
スポーツや賭け事など勝負事の必勝祈願の他にも、学業、商売、出世、恋愛まで、何かを勝ち取りたい時にはお参りしてみると良いかもしれません。
豊臣秀吉の白旗神社参拝にまつわるエピソードがある?
1590年(天正十八年)、小田原北条氏を滅ぼして天下統一を達成した豊臣秀吉は、鶴岡八幡宮を訪れました。
この時、秀吉は白旗神社にも詣で、当時祀ってあった源頼朝の像に語りかけたという逸話が残っています。
「頼りない身の上から天下の頭になったという点で私たちは同じ仲間であり、天下の友達だ」
最後に秀吉は、頼朝像の背中をポンポンと叩いたといいます。
真偽はともかく、秀吉の型破りで豪快なイメージにはぴったりなエピソードですね。
この逸話に登場する頼朝像は、東京国立博物館所蔵の「木造伝源頼朝坐像」(重要文化財)ではないかとも言われています。
鶴岡八幡宮「白旗神社」の建築様式(造り)・特徴
黒漆塗りの社殿が印象的な白旗神社は、武士を祀る神社にふさわしい、堂々たるたたずまいです。
正面には唐破風付きの大きな向拝(こうはい・ごはい)が伸びており、その向拝を支える4本の柱は、木造ではなく、鋳物の上に漆が塗られています。
唐破風とは、白旗神社の向拝の正面のように、中央が盛り上がる曲線になっている部分のことで、鶴岡八幡宮では舞殿にも見られます。
少し気を付けて見れば、向拝下の梁などにある、極彩色の彫刻も見つかるでしょう。
唐破風についている金色の家紋は「笹竜胆(ささりんどう)」といい、リンドウの花と葉がデザインされています。
頼朝卿が笹竜胆紋を家紋としていたわけではありませんが、源氏の代表的な家紋の一つです。
白旗神社「武衛殿」の扁額
遠いのでやや見づらいですが、向拝の奥には、「武衛殿」の扁額が掲げられています。
これは幕末の島津藩の大名、島津久光の筆によるものだと伝えられています。
久光は薩摩藩主忠義の実父であり、後見人として幕政の実権を握った実力者でした。
虹梁の透かし彫り
向拝を正面から見て詰め組の上部に虹梁が渡されていますが、よく見なくても虹梁上部の色あざやかなブルーの透かし彫りが目を引きます。
流れ向拝
本殿は平入り・切妻屋根を持つ流造りになっており、正面の屋根が前面部の向拝と連接される様式が採用されています。
大きな特徴となるのが、殿(母屋)となる部分からの屋根を延ばし、それを海老虹梁で支えながら、そのまま唐破風向拝につなげています。
いばら垂木
正面から向拝屋根裏をのぞき込むと、ポチっと飛び出た部分が奥の本殿へ向けて連なっているく様子がうかがえます。
これは「いばら垂木」と呼称し、主に向拝に用いられる部材のことです。名前の由来は、部材の形状がバラの”いばら”のように見えるからです。
このいばら垂木が軒を連ねる景観が見事。
流れ向拝を持つ殿舎でお目にかけることのできる様式です。
塗装(朱色のライン)
黒を基調として、赤のライン状の塗装が目を引きます。これ、なんかカッコいぃ。日光の大猷院を彷彿させる特徴です。
関連記事:日光山輪王寺「大猷院廟(本殿)」【国宝】
正面四角柱の角を面取りし、朱色の塗装をライン状で施す様式が見事。ちなみにこの朱色のラインは殿舎の妻側の小虹梁と大虹梁の腹部にも御目に掛けることができる。
白旗神社の手水鉢「蓮の彫刻の謎」!
白旗神社の手水鉢には、蓮華の花の彫刻がある石が使用されています。
蓮と言えば、仏教が連想されます。
神を祀る神社に、なぜ蓮の手水鉢があるのでしょう。
それは、鶴岡八幡宮が、かつては神と仏の両方を祀った神宮寺だったからです。
境内には、現在残っている社殿の他に、仁王門、護摩堂、塔、六角堂、鐘楼など、仏教寺院の伽藍もありました。
しかし明治時代の神仏分離令後、これらの建物や仏像、仏具などは失われてしまいました。
例えば、現在は再建されている旗上弁財天社も、この時一度は取り壊されてしまっています。
白旗神社の手水鉢は、鶴岡八幡宮が鶴岡八幡宮寺だった頃の遺構なのです。
鶴岡八幡宮「白旗神社」の場所(地図)
流鏑馬馬場沿いに建つ鳥居が白旗神社の参道の入り口です。
若宮前の小路を、柳原神池方向へ右手に進んでもたどり着きます。
白旗神社では御朱印がもらえる!
白旗神社では正月期間限定の御朱印をいただけます。
ただ、白旗神社はご覧のとおり、一般の方が柵の向こう側に入れないので、代わりに本殿(本宮)を向かい見て右側の授与所で授与されています。
白旗神社の御朱印についての詳細は下記ページにてご紹介しています。
鶴亀石
白旗神社の手前には、「鶴亀石」という2つの大きな石が祀られています。
鶴亀石については下記ページにて詳しくご紹介しています。
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柳原神池
白旗神社を向かい見て右脇には八幡宮の紅葉のスポットでもある柳原神池が広がる。