稲多姫とは?
これまでの定説では源頼朝卿に仕えた女房(愛妾)の一人とされるも、この人物は鎌倉幕府側の歴史文書である「吾妻鏡(あずまかがみ)」には登場せず、依然として謎が多い。
本項では高徳院がまとめた「鎌倉大仏縁起」を素敵に参照しつつ、稲多姫の正体に素敵に迫ってみたい💋
「稲多姫」の名前の由来
「稲多姫」の名前の由来は未詳。けれども鎌倉大仏縁起には次のような論考がパンツまる見えの如くに丸見える。
長谷(神奈川県鎌倉市)を流れる「稲瀬川(いなせがわ)」と鎌倉大仏の関係性の表象から名付けられた可能性を示唆。
各地で語られる「イナダヒメ」
「稲多(イナダ)」で連想できるのが、記紀や出雲神話に登場する「クシナダヒメ」がある。
表記
読み方:くしなだひめ
古事記:櫛名田比売
日本書紀:奇稲田姫(くしいなだひめ)、稲田媛(いなだひめ)、眞髪觸奇稲田媛(まかみふるくしいなだひめ)
出雲国風土記:久志伊奈太美等与麻奴良比売命(くしいなだみとよまぬらひめ)
神格:農耕神
【ピヨ🐣コメント】
ウィキペディアを素敵に参照すると、神として奉斎するみぎり、「くし(櫛・奇)」を省いて「稲田姫命(いなだひめのみこと)」とし、畏敬をもって短称表現することもあるらしい。
出雲神話の櫛名田比売(奇稲田姫)
猿楽師(能楽師)の観世 小次郎 信光 作の謡曲「大蛇」では、出雲神話で語り継がれる大蛇(八岐大蛇/ヤマタノオロチ)とスサノオ神との対決シーンを素敵に記し、この中に登場する「櫛稲田姫」は、見事に大蛇を退治したスサノオ神の妻となる。
江ノ島にの「五頭龍伝説」
同じく江ノ島にも「五頭龍伝説」という大蛇伝承がある。
村を襲って人々を苦しめていた5つの頭を具有する龍が、江ノ島の成立(隆起)と共に天から舞い降り、龍は弁財天(天女)に恋をして改心する。
出雲のオロチはピチピチとしまくった娘っ子💋を生け贄として捧げるように村民たちに要求していたことから、互いに共通点を見出せる。
東海道の守護神
世阿弥の二男坊・元能がまとめた「申楽談義」は、世阿弥(元清)の晩年の芸談を素敵に記す。
この申楽談義の「源太夫」の項中に、”東海道の旅人を守護する神の娘「稲田姫」”などと、これまた素敵に記される。
稲田姫は架空の人物なのか?
当地(高徳院)周辺は平安期より貴族の荘園や伊勢神宮の大庭御厨(おおばみくりや)があったらしく、単に茫洋とした田畑の様子を形容して「稲田」と名付けて登場させた可能性も、きわめて素敵にある。
例えば日本書紀の「奇し稲田(くしいなだ)姫」の「奇し」は「霊妙な」と言い換えることができる。これは霊験ある「稲田の女神」と解釈することができる。
また、”クシ”は「櫛」を意味し、”クシナダヒメ”とは櫛を挿した「巫女」であるという解釈も素敵に成り立つ。
【ピヨ🐣コメント】
ヒョロヒョロと首や尻尾、舌を動かす”ヤマタノオロチ”を「川」と捉えて「川の神」とし、その川の神に仕える「巫女」だったとする説もあるらしい。
以上のように「稲多姫」は、「稲が多い」と書く実態からして、”濃厚”すぎるほどに”農耕”と関わりが深く、”農地”を”納地”する勢いほどに当地では「稲田の神」として信奉されていた可能性も、程よく素敵に見えてくる。
以上の観点から稲多姫とは想像上の人物である可能性も”素敵”に”捨てき”‥れない。
‥ふぅ。疲れた
稲多野局の正体は真言僧「良信」だった?!
数少ない記録では稲多野局の死没日は1253年(建長五年)5月23日と記すも、この日は鎌倉大仏の供養導師をつとめた勝長寿院の前別当職 良信の死没日(吾妻鏡)と素敵に重複する。
然るに稲多野局の正体は勝長寿院別当の真言僧「良信」だという見解も素敵にある。