銭洗弁天で小銭(お金)を洗う理由とは?
源頼朝が鎌倉幕府を開いてからしばらく経った後の「鎌倉幕府5代執権の北条時頼」が、ある時、こう言って小銭を宇賀福神社の湧き水で洗いながら、一族の繁栄を祈願したそうです。
「この水で銭を洗って清め、更に心身を清めて行いを慎めば、清浄の福銭となる」
以来、この信仰が時代を経るごとに庶民層にまで深く浸透し、銭洗弁財天でお金を洗うと金運が上がるという信仰が誕生することになります。
宇賀福神社の水は霊水だということ
『なぜお金を洗うのか、洗えば良いなら自宅で洗っても同じではないか?』
‥と疑問を持たれる方もいるでしょう。
これは上述したように銭洗弁財天(宇賀福神社)の奥宮には古来、霊力が宿るとされる湧き水があり、この湧き水で洗うことによってそのお金も強い霊力を帯びます。
また、銭洗弁財天(宇賀福神社)に祀られる御祭神は川を起源とする水の神です。
この水の神が宿る湧水は、霊力を帯びた「霊水(不思議な効能のある水)」とされるため、より効果が期待できるのです。
お金を洗うことで「お清めになる」ということ
洗うことでお金が増えるとされるのはなぜでしょうか。
水でお金を洗うことが、お金を増やすことに直結するわけではありません。
北条時頼は銭を洗い、心身を清めることで銭が「清浄の福銭となる」と言っています。
つまり、神社に詣でる際に私たちが手水舎で手口を清めるように、けがれが付いた銭を霊水で清めることで、神のご加護を得られ、きっと運が向いてくるだろう、ということです。
清められたお金に、新たなお金が引き寄せられる‥かもしれないというわけです。
銭洗弁天の銭洗いの起源(歴史)
この宇賀福神社が”銭洗い弁天”と呼ばれる理由を述べるには、まず、銭洗い弁天の起源と創建の理由について知る必要があります。
源頼朝が創建した説
1185年の巳の年、巳の月、巳の日の夜、源氏の総大将で有名な源頼朝がこの鎌倉の邸宅で寝ていたところ、夢に巳(へび)の神である「宇賀福神」が現れ、こう告げたようです。
「佐助谷(さすけがやつ/※鎌倉では”谷”を”やつ”と呼ぶ)に湧く霊水に私を奉じれば、たちまちのうちに天下太平、これ治まる」
神仏に対しての信仰心が人一倍そなわっていた源頼朝は、この夢告を信じて佐助谷に宇賀福神を祀る神社を造営します。これが今日みることのできる宇賀福神社の起源です。
北条時頼が創建した説
現在までで一般的に知られている説は、上述、源頼朝が創建した説であり、これが起源とされています。
ただ、地元鎌倉に残されている民話の1つに、北条時頼が創建したとされる説もあるようです。
この説によれば当時の(鎌倉時代)人々はお金を珍しがって、家宝として使用しなかったようです。
これでは貨幣を発行した意味がないので、困り果てた執権・北条時頼が、お金を使用させる目的でこの銭洗い弁天(宇賀福神社)を造営し、お金を洗って願掛けするパフォーマンスを見せて流通させたとのことです。
銭洗弁天でいつからお金を洗い始めた?銭洗い信仰に火がついた理由とは?
そもそも「銭洗い信仰」とはどうやって生じたのだろぅか?
もっともな理由としては、ヘビの身体をした福徳のご利益をもつとされる”宇賀福神”への信仰に火がついたことが挙げられるのだが、ではその宇賀福神の信仰はいつから始まったのだろぅか?
これについて、次のような理由が素敵に述べられ〜る💘
【その1】「6回めぐった”巳”の年」
伝承によると北条時頼がお金を洗った年が正嘉元年(1257年)になるようで、頼朝が宇賀神の夢を見たという1185年から72年後、つまり干支が6回巡った巳年だったという。
【その2】「”巳”の年、”巳”の月、”巳”の日、」
上記の源頼朝が霊夢を見た日の”巳の年、巳の月、巳の日の夜”と、”巳(ヘビ)”が重なる。
【その3】北条時政の目の前に現れた”巳(ヘビ)女”
初代執権職の北条時政が江の島の「江ノ島弁天」へ参拝したその夜のこと、自邸の縁側で月を見ながら手酌を傾けていたところ、高貴な服をまとった女が突如、目の前に現出したらしい。
その女は時政に北条一族の行く末(未来)についてを告げ、驚くことに大蛇に変化して屋敷を出ていったとな。
時政は、その女が立っていた場所に光り輝く物を見つけ、それを手にとってみると「3枚の鱗」だった。
これを瑞祥と感得した時政は、3枚の鱗を家紋として用いることで、大蛇すなわちヘビ女を守護神とした‥‥というお話♡
ところで‥北条時頼は本当に「銭洗い」をしたのか?
北条時頼が本当にお金を洗ったかどうかなどは、今となっては素敵に判然とはしないものの、その可能性はあり得る。
この例証として、時頼の時代には宋から輸入した「宋銭」がすでに流通していたので、「銭洗い」ができたと考えられる。
しかしながら、宋銭をを使っていたのは一部の上流階級の人たちであり、将軍や執権、一部の豪商などは使用していたのかもしれないが、一般市民の経済の中心は米を用いた物々交換による取引だった。
然るに、貨幣を手にすることすら叶わない庶民層は、もしかするとモミや米を洗って、金運向上ではなく豊作を祈願していたのではないか、という考え方も素敵にできる。
あるいは、時頼自身が洗ったのは実は米だったという見方もあり、謂わゆる、それが「米洗い信仰」となって、貨幣経済が浸透しはじめると、「銭洗い」に変わっていった‥という見解も素敵にある。
銭洗い弁天の場所(地図)
住所:神奈川県鎌倉市佐助2丁目25-16
- JR鎌倉駅・江ノ電鎌倉駅から徒歩約20分
銭洗い弁天への交通アクセス(最寄駅と最寄バス停)
電車
最寄り駅は以下の2つ。
- JR横須賀線「鎌倉駅」下車、徒歩約20分
- 江の島電鉄「鎌倉駅」下車、徒歩約20分
バス
最寄バス停は以下の2つ。鎌倉駅西口から徒歩約1分の「市役所前バス停」から以下の系統のバスへ乗車する。(東口と間違えないように注意!)
JR鎌倉駅の東口は鶴岡八幡宮の方面。その逆。西口には江ノ電の鎌倉駅がある。
- 京急バス 「鎌51系統・法務局前(バス)」
- 江ノ電バス「7-1・法務局前(バス)」
※バス本数が極少かつ、法務局から鎌倉駅まで徒歩8分くらい且つ、バスが神社の間近まで行かないという理由から大半の方が鎌倉駅から歩く。
- 「法務局前バス停」から徒歩約10分
銭洗弁天の駐車場
銭洗弁天には専用駐車場なるものがあるも、収容台数はわずか12台。
もし仮に駐車場が満車の場合、道幅の狭路を再び引き返すことになるので素敵に要注意💘
以下に付近のコインパーキングを掲載しておく。
銭洗弁財天(宇賀福神社)の簡単な歴史と概要
創建年
- 1185年(平安時代)
正式名称
- 銭洗弁財天 宇賀福神社
読み方
- ぜにあらいべんざいてん うがふくじんじゃ
御祭神
- 市杵嶋姫命
- 弁財天(宇賀神※ヘビの体を持つ神様)
- 宇賀福神
祭礼
- 1月1日 歳旦祭(さいたんさい)
- 4月初巳日 中祭(ちゅうさい)
- 9月白露巳日 大祭(たいさい)
銭洗い弁天(宇賀福神社)の拝観料金・拝観可能時間
拝観料
- 無料
但し、お金を洗う場合、別途ザル代と線香代セットで100円が必要💘
拝観可能時間(開門・閉門時間)
- 境内は自由(24時間)
- 授与所は8時から16時30分頃まで(16時までにお越しください)
境内は24時間空いているので、1日中お参りはできる。ただ、外灯が無いので懐中電灯を用意する必要がある。(本当に真っ暗くら寿司です)
所在地
- 神奈川県鎌倉市佐助2-25-16
銭洗弁天のINFO
- 住所:神奈川県鎌倉市佐助2-25-16
- 電話番号:0467-25-1081
- 公式ホームページ:公式HPはなし(参考:神奈川県神社庁)
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