鶴岡八幡宮の歴史(年表)と名前の由来を……醤油煎餅カジりながら知るつもりぃ❓

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鶴岡八幡宮の読み方

「つるがおかはちまんぐう」

鶴岡八幡宮の別名

『鎌倉八幡宮』とは❓

「鎌倉八幡宮」とも呼ばれる。これは”鎌倉にある八幡宮”という意味とみられる。

江ノ電バスのバス停表記に「鎌倉八幡宮前」というものがある。

「鶴岡八幡宮寺」とは❓

実は明治以前の鶴岡八幡宮は鎌倉最大かつ最上位の寺院だった。つまり、「神宮寺」だったことになる。

明治になると政府によって神仏が分離されることになり、「寺」が除されて現在の「鶴岡八幡宮」へと改称された。

なお、鶴岡八幡宮寺とは以下、摂末社の総称となる。

「鶴岡」の書き方

「鶴岳」とも書く。

鶴岡八幡宮の名前の由来

「鶴岡」という名前は由比ヶ浜の元八幡から、小林郷に移ってから呼ばれ始めたとされる。

命名された理由は「鶴のいる岡(丘)」が由来のもとになったと云われる

鶴岡八幡宮のを建てた人物や建てた理由

現在の鶴岡八幡宮の発祥・起源は源頼朝卿の父親である源頼義となる。頼義は勅許も無しに独断で京都の石清水八幡から神霊を鎌倉は由比ヶ浜へ遷し、これを八幡宮とした。(元八幡の成立)

父・頼義の死後、伊豆で挙兵した頼朝卿は由比ヶ浜の前を通った際、これを遥拝した。後に元八幡に奉祀される神霊を現在の鶴岡八幡宮の建つ場所へ遷す。

1180年(治承四年)8月17日

伊豆で挙兵した源頼朝卿は相模石橋山で敗北を喫し、命からがら房総半島へ逃れ、千葉常胤や上総介広常などの豪族を調略し、配下とすると再び進軍を開始する。

頼朝卿は、そのまま京師へ攻め上がる胸中を配下の諸将へ打ち明けたが、北の伏龍である奥州の藤原秀衡より背中を突かれるを警戒して、これに反意を唱えて頼朝卿を諌める。

10月6日

頼朝卿は不満を残しつつも先祖代々、由縁のある鎌倉へ入部、7日、当時、由比郷に建っていた鶴岡八幡宮(元八幡)を遥拝した。

この元八幡は頼朝卿の父親である源頼義が京都の石清水八幡より勧請した神社とされるが、頼朝卿が遥拝した当時は荒廃していたとされる。つまり、この社こそが現在の鶴岡八幡宮の発祥となる社。

11日

頼朝卿の伊豆の流人時代よりの恩師である、伊豆山権現の住僧・専光房 良暹(せんこうぼう りょうせん)が鎌倉へ参着す。

12日の寅の刻(午前四時)

小林郷の北山の麓に元八幡を遷宮(移築)し、良暹を別当、大庭景能を鶴岡八幡宮寺の奉行に補任す。

この元八幡が建てられた場所こそが現在、若宮(下宮)が建つ場所となる。

1181年(養和元年)元旦の卯の刻(午前6時)

頼朝卿は若宮へ参詣すると、以降、毎年元旦に若宮に初詣することを決定した。(一説に東国における初詣の起源と云われる)

この頃の若宮は松の柱や茅噴きで建てられた極めて質素な社殿だったと伝わる。そこで‥‥

5月13日

本格的な造営工事が着工する。頼朝卿は、まず、土肥実平、大庭景親の両名を造営奉行に補任し、その日、用材の確保(切り出し)が命じた。

6月27日早朝

柱13本、虹梁2支ほどの用材が由比ヶ浜に到着する。

奉行の1人が土肥実平だったから、その所領の土肥郷(湯河原町)あたりの木々を伐採し、筏(いかだ)を組んでそれに乗せ、相模川上流から海路主体でドンブラコ〜♪ドンブラコ〜♪‥‥と運ばれてきたらしい。

当初の鎌倉には宮大工がいなかった

頼朝卿が入部した頃の鎌倉はド田舎だったらしく、宮大工などいようハズもなかった。

そこで‥‥

7月3日

武蔵国は浅草寺所属下の宮大工である「郷司」を引き抜いて鎌倉の宮大工とした。

7月8日

「郷司」が参着し、若宮の本格的な造営工事が実施される運びとなった。

御神体の遷宮の儀

大庭御厨(おおばのみくりや/現在の藤沢市)から、神庤(かんだち/神館)から一古(巫女さん💕)が呼ばれ、御神体を仮殿へ遷した。

なお、大庭御厨の神庤とは、現在の鳥森神社(藤沢市鵠沼神明二丁目)に比定される。

7月20日

若宮の宝殿上棟の儀式が執行され、社頭東方の仮屋に頼朝も臨席した。大工に与える馬の口輪役をシブった義経は頼朝卿より𠮟咤される。

7月21日

若宮造営奉行に梶原景時が加わった。

8月15日

若宮が完工する。待ちかねたかのように頼朝卿も臨席の上、御神体が仮殿から再び新造された若宮へ遷される遷宮の儀が執行されたのだった。

この日、平経正率いる平家軍が北陸街道を進軍中との知らせが鎌倉へもたらされたので儀式は切り上げられた可能性を指摘する。

10月6日

頼朝卿は、伊豆山権現の住僧・大法師「禅叡(ぜんえい)」に請いて、若宮の供僧兼、大般若経衆に補任す。

なお、鶴岡八幡宮供僧次第によると、大法師の玄信(後の荘厳房律師・行勇)も招聘し、若宮の長日最勝講の供僧に補任してい‥‥‥申す。パっ(ネタ切れ気味)(ただし同書では1213年に補任したことになっている)

 

 

 

 

鶴岡八幡宮に祀られている神様は誰❓

本宮(本殿/上宮)

御祭神:応神天皇、比売神(ひめ)、神功皇后(じんぐうこうごう)

鶴岡若宮(下宮)

御祭神:仁徳天皇、履中天皇(りちゅう)、仲媛命(なかひめ)、磐之媛命(いわのひめ)

八幡宮は源氏歴代の祖霊を奉斎する社でもある

鶴岡八幡宮は京都の石清水八幡宮から八幡神を勧請して創祀されたことから八幡神を奉斎するが、その本意は八幡宮を中心に据えた鎌倉の街並みを俯瞰しても分かるように源氏歴代の祖霊を奉斎した社であることにも注目しなければならない。

鎌倉時代

年月日できごと
1063年(康平6年)8月源頼義が石清水八幡宮を鎌倉由比ガ浜に勧請す。ここに社殿を創建す。
1180年(治承4年)10月12日源頼朝が鎌倉入り、由比の若宮を小林郷北山(現在の若宮わたり)に移す。(若宮の創建)
1081年(永保元年)2月源義家が由比の社殿を修理する。
1181年(養和元年)5月鶴岡若宮の造営を新たに始める。
1182年(養和二年)3月頼朝卿が嫁・政子の安産祈願のため、社頭より由比ノ浦に至るまでの参道(若宮大路・段葛)を造成することを命じる。
4月頼朝卿、社頭の水田三町余を苑地(源平池)に替えることを命じる。
9月初代別当の円暁が鎌倉に下向。頼朝卿から八幡宮寺別当職に任ぜられる。
1184年(治承8年)2月平家追討の祈祷を鶴岡若宮にて執り行う。
年月日できごと
1186年(文治2年)3月4日若宮焼失(参考文献:鎌倉年代記裏書)
4月頼朝卿と政子夫人が参詣す。静御前の舞を観覧。
8月頼朝卿が参詣中の西行法師と出会い、和歌と弓馬の故実を尋ねる。
1187年(文治3年)8月初めて放生会を執り行う。流鏑馬を開催す。
1189年(文治5年)3月鶴岡法会を開始す。頼朝卿が亡母の供養のため、五重塔を発願。建設が開始される。
6月頼朝卿、奥州征伐の祈祷を命じる。
11月23日大倉観音堂焼失。
1191年(建久2年)3月4日小町大路周辺、江間殿(北条義時)屋敷など、鶴岡社(八幡宮)、御所が焼失。
3月小町大路より出火。若宮、五重塔、廻廊、経所などが焼失す。
11月前回(由比若宮の時)と同じく、石清水八幡(京都)から神霊を勧請し、大臣山(現在の石階段上の場所)に鶴岡八幡宮を創建する。(現在の本宮の創建)
同時に、若宮、末社などの遷宮も執り行う。この時より、現在にまで及ぶ石階段上に建つ上宮(本宮)と、石階段下に建つ、下宮(若宮)の体制が成立する。

  • 白旗神社、式内社、丸山稲荷社、熱田神社、三島神社、祖霊神、旗上弁財天社、今宮
年月日できごと
1192年(建久3年)正月初めて修正会が執り行われる。
4月30日若宮職掌紀藤太夫宅が焼失。
7月勅使が下向す。鶴岡八幡宮西廊にて頼朝卿に征夷大将軍の辞令を申し伝え候。
1200年(正治2年)12月尊暁が別当(二代目)に補任される。
1206年(元久3年/建永元年)5月定暁が別当(三代目)に補任される。
1208年(承元2年)神宮寺が創建される。
1213年(建暦3年)12月1日御所近辺、武州(北条時房)など焼失。
1214年(建保2年)正月3日由比ガ浜近隣にて火災発生。人屋数棟が焼失。
1215年(建保3年)正月11日若宮辻あたり出火。人家ほか20余が焼失。

 

年月日できごと
1216年(建保4年)8月定暁が境内に北斗堂などの脇堂を建立す。
1217年(建保5年)6月公暁(源頼家の子)が別当(四代目)に補任される。
1219年(建保7年/承久元年4月12日)正月右大臣拝賀のため参詣した実朝を別当・公暁(甥)が殺害す。
正月15日御所近辺にて出火。40棟が焼失。
2月14日将軍政所にて出火。罹災。
9月22日西若宮大路通りから出火。数棟、焼失。
1221年(承久3年)5月承久の変が勃発す。大仁王会が執り行われる。
1225年(元仁2年/嘉禄元年)正月最勝八講をはじめて執り行う。以後、恒例となる。
1227年(嘉禄3年)12月13日政所前周辺から出火。数棟、焼失。
年月日できごと
1229年(寛喜元年)9月30日若宮大路通り下馬橋北側で出火。数棟焼失。
1232年(寛喜4年/貞永元年)4月頼経が鶴岡上下宮に5日間参拝す。
1241年(仁治2年)4月大地震に伴う津波により、由比浦大鳥居内の拝殿が流失す。
1247年(寛元5年/宝治元年)6月三浦の乱により、別当定親(八代目)が縁座で止められる。隆弁が別当(9代目)に補任される。
1251年(建長3年)5月27日由比ガ浜の人家から出火。御所南隣人家まで延焼。
11月八幡大菩薩御影像を別当坊に祀る。
1253年(建長5年)12月8日若宮大路通り下馬橋周辺に出火。前浜(由比ガ浜海岸一帯)の民家まで延焼およぶ。悉く灰塵に帰す。
1257年(康元2年/正嘉元年)閏3月執権時頼の発願にて以後、毎年、大仁王会が執り行われる。
11月22日若宮大路藤次郎左衛門入道家失火あり。周辺一帯に類焼を及ぼす。

 

年月日できごと
1261年(弘長元年)2月12日政所庁屋焼失。
1261年(弘長元年)9月20日若宮大路から出火。
1263年(弘長3年)12月10日若宮大路通り一帯が焼失する大火あり。
1266年(文永3年)9月中原光氏が裸形弁財天像を鶴岡舞楽院に安置す。
1271年(文永8年)10月12日鶴岡八幡宮別当坊にて出火。焼亡す。
1276年(建治2年)正月20日御所(相州・北条時宗)にて出火あり。
12月15日御所(北条宗政館)にて出火あり。
1280年(弘安3年)11月14日鶴岡八幡宮上下、火元は大学厨子。翌年暮れに再建成る。(参考文献:鎌倉年代記裏書)
11月火災発生す。上宮・末社・楼門など多くの建造物が焼失す。
年月日できごと
1281年(弘安4年)11月前年焼失した神殿が復興される。御正体の遷宮が執り行われる。
1285年(弘安8年)3月北条貞時の発願により、長日座不冷本地供養法が始まる。
1296年(永仁4年)2月火災により、上下宮・廻廊・北斗堂・神宮寺などを焼失す。
2月3日鶴岡八幡宮上下、焼失。(参考文献:鎌倉年代記裏書)
12月社殿が再建される。遷宮が執り行われる。
1313年(正和2年)5月幕府が鶴岡社内と付近に6か条の禁制を発出す。
1315年(正和4年)7月9日八幡宮、政所、建長寺などが火事により罹災。
1316年(正和5年)11月再建した社殿が完成す。遷宮を執り行う。
1333年(元弘3年/正慶2年)5月鎌倉幕府が滅亡す。別当有助(第一七代)は東勝寺にて自害す。新田義貞が若宮拝殿し、首実検を行う。神殿の重宝を披見す。
9月覚助が検校職(第18代別当)に補任される。

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室町時代(戦国時代)

年月日できごと
1335年(建武2年)8月足利尊氏が佐々目郷の領家職を寄進す。座不冷を再開す。
1336年(建武3年)6月覚助が罷免される。頼仲が別当(第19代)に補任される。
1386年(元中3年/至徳3年)11月足利氏満が鶴岡社内に6か条の禁制を発出す。
1409年(応永16年)6月29日御所が火事により罹災。
1414年(応永21年)4月院宣を受けて別当の御影堂を勅願寺とす。八正寺と号す。
1415年(応永22年)正月供僧の坊号を改め、院号とす。
1434年(永享6年)3月足利持氏(4代目鎌倉公方)が血書願文(血で書いた願文)を奉納す。大勝金剛尊を造立す。
1455年(享徳4年/康正元年)2月足利成氏が今川憲忠に攻められ古河へ去る。供僧4人が同行す。
1479年(文明11年)1月27日江戸城西方の鎮守神として太田道灌が鶴岡八幡を江戸番町に勧請す。
年月日できごと
1526年11月12日里見 義堯(さとみ よしたか)が乱入し、北条氏綱の軍と合戦になる。諸堂が炎上す。
1540年11月氏綱が上下宮ほか諸堂を再建す。正殿遷宮を行う。
1548年天文17年12月14日街より出火。妙本寺罹災。

安土桃山時代

1590年7月、豊臣秀吉は北条氏を滅ぼした後、八幡宮に参詣。頼朝卿の像を見て「同じ天下を取った者同士」と語らう。

1591年5月、秀吉の命により、「修営目録見絵図」が作られる。この後、鶴岡社の大修理が行われる。

1593年、この年、徳川家康公が安楽院など、新たに五院家を再興させ、十二院とす。

江戸時代

1626年、当年、徳川秀忠が命じていた造営工事が完了す。

1667年(寛文7年)、若宮玉垣内にある椰木(ナギの木)を伐採するか否かの評議があり、神の意向を窺うための神事が執り行われる。

1703年11月、大地震により、黒門、石垣、灯篭などが転倒す。

1821年正月、置石町からの火災により、上宮、楼門、廻廊などが焼失す。

1828年、江戸幕府11代将軍、徳川家斉の命により本殿などが造営される。

明治時代

1868年3月、太政官により、神仏混淆が禁止される。これにより廃仏毀釈の動乱の時代に突入す。

1868年4月24日、仏教的神号の八幡大菩薩が明治政府により廃止される。

1868年7月19日、石清水八幡宮以下、鶴岡八幡宮などの放生会は中秋祭に変更される。

1870年5月、仏教関係の諸堂を取り除き、官寺としての鶴岡八幡宮が廃絶す。

1871年5月14日、社格制度が制定される

大正時代

1917年1月、段葛の八幡宮境内編入が許可される。

1923年9月1日、関東大震災で、多くの建造物が崩壊・消失す。

昭和時代

1928年4月3日、鎌倉国宝館が開館す。

1951年11月17日、平家池のほとりに神奈川県立近代美術館が開館す。

平成時代

2010年3月10日、4時40分頃に、強風のために大銀杏は根元から倒壊す。

段葛の歴史

段葛の歴史については下記ページにて別途、詳しく述べています。

鶴岡八幡宮の観光スポット一覧

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