鎌倉・鶴岡八幡宮「武内社」【重要文化財】
※鶴岡八幡宮本殿(本宮)の回廊内は原則写真撮影禁止です。(写真はお借りしたものです)
読み方
たけうちしゃ
再建年
1828年(文政十一年)
建築様式(造り)
一間社流造
屋根の造り
銅瓦葺
ご本尊
武内宿禰命(たけのうちすくねのみこと)
ご神徳(ご利益)
延命長寿、武運長久など
社格
鶴岡八幡宮・末社
例祭日
4月21日
重要文化財指定日
1996年(平成八年)7月9日
鎌倉・鶴岡八幡宮「武内社」の歴史・由来
鶴岡八幡宮の武内社について、創建の時期ははっきりとはわかりませんが、1226年(嘉禄二年)に遷宮した記録が残っています。
この遷宮は、1191年(建久二年)の大火で焼失した社殿を再建して上下宮を整えた際、本宮(上宮)脇に建立された時の記録だと考えられています。
現在の社殿は、1821年(文政四年)の火災で焼失した後、1828年(文政十一年)に江戸幕府第十一代将軍徳川家斉によって再建されたものです。
「末社武内社本殿」として、本宮と共に重要文化財に指定されています。
鎌倉・鶴岡八幡宮「武内社」の建築様式(造り)・特徴
武内社は本宮の本殿と同じ流造(ながれづくり)で、屋根の前の部分が後ろの部分よりも長くのび、向拝(こうはい・ごはい)と呼ばれる庇(ひさし)となっています。
社殿の色も本社と同じ朱漆塗りで、扉などは黒漆塗りとなっています。
外壁には松の壁画が描かれ、極彩色の彫刻も見られるので、社殿の後ろ側も見てみてくださいね。
鎌倉・鶴岡八幡宮「武内社」のご祭神「武内宿禰命」
武内宿禰(たけのうちすくね・たけのうちのすくね)は古事記や日本書紀に伝わる人物です。
古事記によると、景行・成務・仲哀・応神・仁徳と、5人の天皇に224年に渡って仕えた忠臣とされ、武運や長寿の神として信仰されています。
天皇の補佐役である宰相を長く勤め、数々の功績をあげて、360歳余りまで生きたという伝説もあります。
政治的な能力が高かったということで、鎌倉幕府の二代執権、北条義時を武内宿禰の生まれ変わりとする説話も残っている他、
かつては日本の紙幣の肖像にも採用されるなど、古事記や日本書紀に登場する天皇以外の人物としては、かなりの有名人なんです。
武内宿禰を祀る神社は全国にあり、特に八幡神社では、ご祭神として祀られていたり、摂末社として社殿が構えられていたりします。
武内宿禰は仲哀天皇の皇后の神功皇后とも繋がりが深く、鶴岡八幡宮の本宮では神功皇后とその皇子の応神天皇を祀っていること、
また、鶴岡八幡宮とも縁の深い京都の石清水八幡宮において、本殿の西側に摂社を構えて武内宿禰命が祀られていることから、
鶴岡八幡宮の武内社は、本宮の西隣に配置されています。
鎌倉・鶴岡八幡宮「武内社」の場所(地図)
武内社は、鶴岡八幡宮本宮の楼門をくぐって左手に進んだところにあります。
おわりに・・
まるで本宮の一部に見える武内社なので、気づかずに通り過ぎてしまいがちかもしれませんが、
本宮のご祭神にゆかりのある重要な人物を神として祀っている神社です。
ぜひお参りし、長寿を祈願してみてくださいね!
鶴岡八幡宮の拝観情報や回り方の詳細は、当サイトの以下のページ↓でご紹介しています。
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