北條氏の家紋の名前
- 三ツ鱗ノ紋
鎌倉の北條氏(北条氏)ゆかりの寺へ行くと必ずと言って良いほどピラミッドの形をした白と黒の家紋が見られる。
極楽寺(北条重時が創建)
鬼瓦
宝戒寺(北条氏鎮魂の寺院※創建は後醍醐天皇)
門扉
円覚寺(北条時宗が創建)
灯明
常楽寺(北条泰時が創建)
山門
北條氏の家紋「三ツ鱗ノ紋」が成立した経緯
太平記の巻5には北条時政が榎島(えのしま)に参籠する旨の次のような内容のことが記される‥‥。
鎌倉時代の初め、北条時政が現在の江島神社へ参籠した折、子孫の繁栄を願った。
37日目の満願を迎えた夜のこと、夢に綺麗〜💕な女人が立ち、こぅ告げた。
『汝が前世は箱根権現の僧なり。66部の法華経を書写して日本66カ国の霊場へ奉納することにより、ふたたび人としてこの世に生を得たること叶おぅ❤️
されば七代までは栄華に誇るべし💕』
このように神託すると、突如、20丈(60メートル)もの大蛇の姿へと変化し、大蛇となってス〜っと消えてった。
時政は、ハッ❗️となって、まるで4千年の深き眠りから死者の如く目覚め、パッ!と目を見開くと激しく息を吸い込んだ。
‥‥と、何やら枕元からキラキラと波打つような光が射す。
時政はおそるおそる枕元に目をやると、そこには龍のウロコらしきモノが3枚、落ちていた。
その龍の鱗は三角形をしていて、3枚組み合すと、またもぅ1つ三角ができた。
時政は以来、その形を瑞祥の兆しとし、自らの一家の繁栄を願い、自家の家紋とした‥‥
‥という霊験譚。
後北条氏の北条紋と北条氏の三ツ鱗紋は微妙に違うので要注意❗️
北条氏といえば伊豆や鎌倉を根拠地とした一族。実は戦国時代にその鎌倉や伊豆を支配した後北条氏と呼ばれる氏族もおり、両者の”家紋”がHey❗️”カモン”してやってくるかの如くに酷似している。….どゆ意味や
北条氏「三ツ鱗」
三ツ鱗紋
後北条氏「北条鱗」
北条紋(北条鱗)
後北条氏の家紋が北条氏と似ている理由とは❓
そもそも後北条氏とは、北条早雲(ほうじょうそううん)を流祖とする氏族であり、伊勢平氏の氏族となる。
時政とは同じ桓武平氏の氏族にはなるものの、時政は平直方流の氏族にあたるので厳密には違う。
後北条氏が北条氏と似せた家紋を掲げた理由としては、北条氏の後裔を自称するがゆえ、北条氏にならった三つ鱗を用いたとされる。
鱗紋がもつ意味やご利益とは❓
三角形は始まり・終わりを示す
三角は頂上から下方へ目をやると末広がりの形状をしていることが分かる。
これは始まりから終わりへ向かう様子を表し、言い換えるとそれは成長・発展・拡大していく様にも見える。古代人も神聖視した形と云われる。
古くから退魔の効果があると伝わる!
京都では、厄年を迎える女性には着物と同寸の着物の下に着る長いジバン(長襦袢)を着用させる風習があるとのこと。
なんでも厄除けや魔除けの効果があるのだとか。
発展・繁栄
時政が夢告で「栄華を誇る」と託宣されたように繁栄の利益もある‥‥のだろぅかぇ❓
まぁ実際、北条氏は滅びてはいるものの、数百年間、執権として鎌倉幕府を牛耳り実質的に全国を支配し、繁栄を極めた一族ではある‥‥んネっ。きゃ
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