【期間限定御朱印もあっちゃった💘】由比若宮(元八幡宮)の歴史や名前の由来|鶴岡八幡宮・境外社【国指定史跡】

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鶴岡八幡宮・由比若宮(元八幡宮)【国指定史跡】

  • 創建年:康平六年(1063年)8月
  • 御祭神:応神天皇
  • 例祭日:4月2日、毎月3日(摂・末社の月次祭)
  • ご利益:武人の神(勝負運)・弓箭/弓射の神(技芸上達)・八幡神の神使(神鳩)(国家安寧・天下安穏)
  • 読み方:ゆいわかみや、ゆいのわかみや
  • 史跡指定年月日:1967年(昭和42年)4月24日

由比若宮(元・八幡社)の歴史

石清水信仰の敬虔な信奉者であった源頼義は「前九年の役」にて奥州へ赴く折、石清水の神に必勝を祈念した。

前九年の役とは、当時、奥州を牛耳っていた有力豪族である安倍氏が、朝廷への貢租を怠り始め、その上、突如として陸奥国府が領有していた衣川以南へ進軍したことに端を発する役(重要な職務)である。

石清水の神への祈りが通じたのか、源頼義は見事、安倍氏を討滅し、奥州平定を成す。

平安時代

その後の1063年(康平6年/平安時代)8月、密かソカそかコノヤローなほどに勅許も得ずに勝手に石清水八幡宮から御神体の分神(神霊)を奉戴し、鎌倉由比郷の地に社殿を建てて祀った。

これが由比若宮もしくは下若宮とも呼ばれた当社の創始とされてい‥‥‥申す。カっ

その後、鎌倉時代の有力な史書とされる吾妻鏡によると、現在の材木座一丁目七の一にある元八幡宮を永保元年(1081年)2月に頼義の嫡子である源義家(八幡太郎で有名)が修理したことが記されてい‥‥‥申す。シャシャシャシャっ

昭和時代

この由比若宮はじめ、明治まで八幡宮の祭祀にたずさわっていた二十五坊供僧(ぐそう)跡なども含め、国の史跡に指定されてい‥‥‥申す。ギャヒェっ

源頼義が由比に石清水八幡の神を勧請した理由

吾妻鏡などの歴史書によれば、頼義公は騎射の弓技に秀で、且つ、情に厚く度量もすわっていたことから、若くして長たる風格がすでにあったとされる。

そんな頼義の将来性を見込んだ鎌倉の大豪族であった上野介(官職)の平直方は娘の婿として一家の敷居の奥へ迎え入れた。

このピチピチとした娘っ子との間に生まれたのが、義家ほか3人の男子だったである。3人も?….ムフ💖

平直方は鎌倉が本拠とされるが、元来、軍事貴族(京武者)として京都が本拠地であったとされ、両家の婚儀も京都で執り行われた。

後に頼義が相模守を賜った折、直方は自領であった鎌倉および、一部の郎党を譲り渡している。(鎌倉に館を与えたという説もある)

このような平直方との関係もあり、鎌倉に八幡神を勧請したとみられているが、由比の地を選んだ理由まで判然としない。

鶴岡八幡宮寺の創建

前述、八幡太郎義家公からすれば、4代後の源氏の当主となる源頼朝卿は、吾妻鏡の十月十二日条によると、治承四年(1180年)10月7日、この由比若宮を遥拝し、鎌倉都の建設に着手したとされる。

つまり、由比の八幡宮を小林郷の北山(当時は墓地だったとされる)へ移して、先祖代々(祖宗/そそう)を崇めるべく、鶴岡八幡宮を新造することである。

同年10月12日、小林郷の北山へ移った八幡の神霊は現在の若宮のあたりに新造された宮殿へ奉斎された。

頼朝卿はこの宮を「鶴岡八幡新宮(いまみや)若宮」と呼んだと伝わる。

しかしながら、鶴岡八幡新宮若宮は、1191年(建久2年)に街中の失火で起こった大火の折、その類焼にて焼亡す。

したがって、現在の本宮(御本殿)は大火の後、大巨山の中腹を削るなどして新たに社殿を造営した後の姿。この時も前回と同じく、新造した社殿に石清水八幡の神を勧請している。

由比若宮(元八幡宮)の境内(参道入口)の場所(地図)


 


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由比若宮(元八幡宮)の境内参道入口の様子

⬆️目印としては入口の前には鎌倉駅からも運行している京急バス(鎌20or40or41系統の鎌倉駅行き)のバス停がある!

上掲写真の右端あたりに古めかしい石柱があるのが分かるだろぅか?

実はこの石碑が由比若宮へ至るロード(道路)の参道となる。

しかしながら、民家と民家の間にあるので見つけづらく、写真のような門標と石柱がなければ間違いなく通り過ぎる。

⬆️夜に由比若宮へ至る参道の前を通ると、本当に見つけづらく通り過ぎてしまぅ

門標となる石柱(石標)の刻銘

表側:「元鶴岡八幡宮」と刻字されてい‥‥‥申す。ギャホェっ

刻銘:「元 鶴岡八幡宮」

刻銘:「大禮紀念」

「大禮紀念」とは、国家的な大礼の記念」と刻字されてい‥‥‥ちょぃ休憩。オホっ

おそらく、大祭の記念に献納された石標だと考えられる。

刻銘:「地久」

「地久」とは、「いつまでも変わらない」などの意味がある。

由比若宮までの参道の様子

上掲写真を見れば分かるように軽自動車1台くらいがやっと通行できるほど道幅が狭いので要注意。

なお、当宮には参拝者専用の駐車場のようなものはないので、マイカーで来宮される時は付近のコインパーキングなどを利用することになり申す。

境内の様子

境内入口の様子

昼間

夜間

境内は死ぬほど狭‥‥‥くはないが、近所の神社よりは狭い。

左端に見える建物は旧社務所。(現在は社家の方が住んでいるのか、民家になっているが御朱印も受付されている※オープンしている期間や受付時間については後述)


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本殿

本殿神前設置の賽銭箱

鶴岡八幡宮の社紋(丸に鶴紋)が見える。

参拝の作法:「二拝・二拍手・一拝」と記されてい‥‥‥申す。ギョゲっ

本殿を横から撮影

社殿の建築様式は一間社・流造。平入。

本殿を背にして境内全体を撮影

境内は写真を見れば分かるように、それほど広くはない。

本殿前の灯籠

境内には不思議しぎしぎ摩訶不思議なことに狛犬像が置かれてい‥‥‥なぃ。ゲフォっ  「い‥‥‥なぃ」でいつものパターンにハメてみたが無理があった  ..て、なんの話や

古札納め所

年末大晦日、正月三が日に古札やお守りを納める参拝者がいることを物語っている。古より付近住民から信仰が寄せられる土着の産土神である背景がうかがえる。

手水舎

手水鉢

 

新しいのが分かるので比較的、近代に奉納されたものだと思われる。刻銘

旗立の松

「松」と看板には書かれているが、実際は巨大な切り株が置かれているのみ。

幹の中は空洞になっている。(下掲、写真参照)

 

往時はさぞかし立派な松だったのだろぅ。

この松の由緒としては、源義家が後三年の役へ赴く際、戦勝祈願のために当地に生い茂っていた松に旗を立てたことから、「旗立の松」と呼ばれてい‥‥‥まする。(フェイント)

天をも貫く2本の巨大なイチョウの木

本殿前には本殿を挟み込むようにしてイチョウの木が、天に向かってそびえ立つ。

樹高は約10メートル、樹齢は聞いたところでは30年近くにはなるとのこと。

以前にもイチョウが生えていたそうだが、枯死してしまったとのこと。現在のイチョウが同じ株の累代かどうかは不明。

ただ‥ねぇ。このイチョウの先っちょを見ていたら‥‥‥この先っちょ部分で脇くすぐられたら‥‥想像しただけで ふぁ〜コチョば

本殿脇の様子

本殿脇には多種の植物が植えらた花壇になってい‥‥‥まする。(フェイント)

一応、広場になっているが、小休憩できるベンチなど置かれておらず、只々、見学して楽しむ空間のようだ。

⬆️花壇に植えられた御神木となるイチョウの木。

宇宙と交信ができそぅな謎の石

本殿脇には宇宙(土星の輪っかあたり)と交信ができそぅな謎の石が柵に囲まれた奥に置かれてい‥‥‥ちょぃ休憩。(ネタ切れ”間近”….マジか”?

社務所前の広場

 


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石清水の井戸(石清水井)

由比若宮境内を出ると三叉路になるが、そのまま前に延びる道を直進したところにある井戸。

石清水八幡宮には石清水社という子社があるが、その付近に現在でもコンコンと湧き出ている霊泉があり、名前を石清水井という。

なんでも石清水八幡宮の石清水の名前の由来にもなった神聖な井戸になるとのこと。

その井戸を模したものがこの井戸とされる。

京都の石清水井とつながっているという俗信もある。

石清水の井戸の場所

由比若宮から徒歩約30秒


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看板の内容

由比若宮 御由緒

鶴岡八幡宮境内末社。前九年の役で奥州を鎮定した源頼義が、康平六年(1063年)、報賽の意(祈願が成就したお礼に神仏に参拝すること。お礼参り。 )を込め、源氏の守り神である石清水八幡宮の由比郷にひそかに勧請(かんじょう/招く)したことに始まる。

鶴岡八幡宮の元となったことから「元八幡」とも称される。

由比若宮創建以前、鎌倉は郡衙(ぐんが/郡の役所のこと)が置かれるなど古代東国の要地で、源頼義以来、源家相伝の地としたあった。 ….源静香は源氏のオナゴかぇ?

源頼義は勅諚(しょくじょう/天皇の下命)により奥州に安倍貞任を征伐した時、丹祈の心あってひそかに康平6年(1063年)秋に石清水八幡宮を勧請し、瑞牆(みずがき/垣根のこと)を営み、永保元年(1081年)には源義家が修復を加えた。

その後、治承4年(1180年)10月、源頼朝卿が鎌倉に入ると、この社を遥拝し、神意をうかがって、現在の鶴岡八幡宮の場所である小林郷北山に遷した(うつした/移動)。

社頭には義家旗立松があり、近くには石清水の井(井戸のこと)がある。うきゃ

境内に立つ石碑の内容

元八幡
鶴ガ丘八幡宮ハ東(吾妻)鑑ニ 本社ハ伊予守源頼義 勅ヲ奉シテ安部貞任征伐ノ時
丹祈ノ旨有リテ 康平六年(1063)秋八月 潜(ひそかに)ニ石清水八幡ヲ勧請(かん
じょう:創設)瑞垣(みずがき:垣根)ヲ当国由比ノ郷ニ建ツ 永保元年(1081)二月
陸奥守義家 修復ヲ加フトアルハ即(すなわち)、此処ニシテ 鶴ガ丘トハ 昔時此地
ヲ呼ヒタルナラム 其後治承四年(1180)十月十二日 源頼朝祖宗ヲ崇センタメ 小
林ノ郷北ノ山ヲ点シテ宮ノ廟ヲ構エ由比ノ宮ヲ此処ニ遷(移)シ奉ル  之レ現時ノ八
幡宮ニテ 東(吾妻)鑑ニ 治承四年(1180)十月七日 頼朝先ズ遥(はるか)ニ鶴ガ丘
八幡宮ヲ拝シ奉ル トアルハ由比ガ浜ノ宮ナリ遷宮ノ後モ鶴ガ丘八幡宮ト云ヒシハ
旧称ニ従ヘルナリ 爾来 (以来)此処ヲ元八幡ト称ス

昭和三年三月建之 鎌倉町青年團

由比若宮でもらえる御朱印

調べると、どうやら由比若宮でも御朱印がいただけるとのこと。

中央に大きく「由比若宮」と墨書きがあり、「由比若宮 八幡」と刻字された印判が押印されている。

いただける場所は敷地内にある民家(社務所と書かれた看板が見える)とのこと。

なお、鶴岡八幡宮にお聞きしたところ、オープンしている日や時間は不定期とのこと。

また、すでに書き上げられた書き置きのみの御朱印を頒布とのこと。

(由比若宮は鶴岡八幡宮が管理しているが、実態を知らない職員が多く、電話をかけたとしても調べるのに時間を要し、電話口で少し待つことになる)

御朱印をもらえる場所

  • 境内社務所(現在は民家)

境内入口にある社務所(民家)にて御朱印をいただける。お守りは特に頒布されていない。

家宅入口のインターフォンを押して飛び出てこられるのを待つ。 ….飛び出てくる?

境内入口の社務所(個人さん民家)

御朱印をもらえる時期

  • 正月(おおむね松の内まで。1月中であればお願いすればいただける可能性もある)
  • 毎月3日(月次祭)
  • 4月2日(例祭)

御朱印をいただける時間(受付時間)

  • 9時頃〜16時頃まで(正式な社務所業務はされていないので留守の時もある)

由比若宮に参拝できる時間

  • 境内は24時間365日可能

由比若宮社は夜間でも外灯が点灯しているので明るく、参拝しやすい。

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