鎌倉大仏(高徳院)「与謝野晶子歌碑」
設置年
1952年(昭和27年)
高徳院には多くの石碑・歌碑がありますが、こちらがもっとも有名な、歌人与謝野晶子の歌碑で、
「かまくらや みほとけなれど 釈迦牟尼は 美男におはす 夏木立かな」
という短歌が、晶子直筆の筆跡のまま刻まれています。
この歌碑は、大仏の造立700年記念に、味の素株式会社により奉納されました。
この短歌は、与謝野晶子が1904年(明治三十七年)、高徳院を訪れた時に詠んだ歌ということで、翌年本郷書院から刊行された詩歌集『恋衣』に収録されています。
与謝野晶子の短歌は間違い!?
この短歌は、発表された当初、物議をかもしました。
大仏は「阿弥陀如来像」であり、「釈迦牟尼(釈迦如来像)」ではないということ、そして、中性で男女の区別などないはずの仏像を、「美男」と言っていることが問題とされたのです。
反響が大きかったため作者本人による手直しも検討されましたが、いくら工夫してみても字句の収まりが悪く、しっくりくる出来にならなかったようです。
結局、既に出来上がった文学なのだからこれで良いということになり、元のまま、石碑にまでなったということです。
ただ、晶子一人が間違ったとも言えない可能性も残っています。
実は、鎌倉時代前半の歴史を記した歴史書『吾妻鏡』に、「釈迦如来像を鋳始め」とあるのです。
『吾妻鏡』は、幕府の関係機関が編纂に関わった史料で、内容も比較的正確なので、もともとは釈迦如来像だった大仏を、ある時一部だけ造り変えたのでは、という説もあるんですよ。
問題の歌を詠んだ与謝野晶子がこのことを知っていたとは限りませんが、歴史の謎が予期せぬところで繋がっているのがわかるというのは、興味深いですね。
阿弥陀如来像と釈迦如来像の見分けるポイントはこれだ!
ここで、みなさんも現地で鎌倉大仏を見た時に、「これは正しく阿弥陀如来だ!」と納得できるように、阿弥陀如来像と、与謝野晶子の短歌に詠まれた釈迦如来像を見分け方をご紹介します。
ポイントは、ずばり、印相です。
印相とは、仏像の手のポーズのことです。
鎌倉大仏を始めとする阿弥陀如来像は、普通、「九品来迎印(くぼんらいごういん)」と呼ばれる9種類のうち、いずれかの印相を結んでいます。
9種類とはいえ大きくは3通りで、あとは曲げる指が違うだけなので、覚えようと思えば簡単に覚えられますよ。
そう言われても9種類覚えるのはちょっと面倒・・というあなたも心配いりません!
現存する阿弥陀如来像の多くは、鎌倉大仏と同じ、両手を膝の上に置いて手のひらを上に向け、親指と人差し指で輪を作った「上品上生印(じょうぼんじょうしょういん)」という印相です。
これは9種類の印相の中でも最上のもので、よく仏教の教えを学び善い行いをした人の臨終の際に迎えに来てくださる仏様だ、という印です。
鎌倉大仏の特徴や歴史についての詳細は、当サイトの以下のページ↓でご紹介していますから、ぜひチェックしてみてください!
さて、一方釈迦如来像の印相にも何種類かあります。
中でも一番多いのが、右手を胸の高さに上げて手のひらを手前に向ける「施無畏印(せむいいん)」と、左手をお腹の高さに置き、指を下に、手のひらを手前に向ける「与願印(よがんいん)」の組み合わせです。
こんな豆知識を知っていれば、高徳院の参拝がより面白くなりますね。
鎌倉大仏・高徳院「与謝野晶子歌碑」の場所
与謝野晶子歌碑があるのは、境内の裏側です。
廻廊左側の小路を奥に進みながら大仏像の後ろ側へ回り込むと、売店、お手洗い、観月堂、そしてこちらの歌碑が現れます。
おわりに・・
高徳院の境内には他にも、金子薫園の歌碑、星野立子や飯室謙斉の句碑、ジャヤワルダナ元スリランカ大統領碑、タイ王室御手植えの記念樹など、歌碑、石碑、記念樹などがたくさんあります。
1つ1つ見てみると、面白い発見があるかもしれませんよ!
鎌倉大仏(高徳院)の拝観情報や回り方などの詳細は、当サイトの以下のページ↓でご紹介しています。