江島神社「奥津宮」の御朱印・歴史(由来)・境内見どころ(八方睨みの亀・龍の洞窟・巨大しゃもじ・力石)など

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江島神社で最も有名な社殿は辺津宮ですが、「江島神社」ならびに「江島大明神」とは、辺津宮・中津宮・奥津宮のこれら3社の総称となり申す。

このページでは江島神社の奥津宮の歴史や境内見どころについて述べてい‥‥‥申す。グハっ

江島神社・奥津宮

読み方

おくつみや

別名

本宮(ほんぐう)/御旅所(おたびしょ)
※岩屋本宮(江の島岩屋)とは別の場所です

造営年

推定814年(弘仁5年)・・・1841年(天保12年)焼失

再建年

1842年(天保13年)

改修年

1979年(昭和54年)・・・屋根修復
2011年(平成23年)・・・本殿改修

屋根の造り

入母屋造

ご祭神

多紀理比賣命(たぎりひめのみこと)

奥津宮の歴史

江島神社奥津宮の本殿は、2011年(平成23年)に改修されたばかりの、比較的新しい社殿です。

奥津宮は今でこそ、年間を通して参拝客が訪れる場所ですが、そもそもの起こりは、江の島伝説に基づいて江の島岩屋にお祀りされた弁天像を移動させる「御旅所」でした。

江の島岩屋は、奥津宮から徒歩10分の場所、海沿い(海岸)にある岩屋です。

江島縁起では弘法大師・空海が東国巡礼の折、この金窟(江ノ島岩屋)へも立ち寄り、7日間の参籠の後、天女(現在の弁財天)が現出したと書き記されています。

その後、5本指を揃えた幅の小さな天女の御姿を写した像(弁財天像)を手彫りし、さらに本宮(お堂)を築いてその中に弁天像を奉安したとあります。

しかし、変動する潮位の作用により、岩屋本宮には旧暦4月~10月のあいだ海水が入り込み、弁天像を奉安した宮殿(くうでん/仏像を安置する豪華な仏壇のようなもの)にも潮の影響により浸水したと記されています。

そこで、岩本院(奥津宮の前身となる機関)に残された記録によれば、1675年(延宝3年)正月、江の島の山頂に「御旅所」の造営を開始したとの記述が見えます。

つまり4月~10月の間は御旅所へ岩屋本宮の弁天像を一時的に遷座(海水から避難)させていたのです。

その、避難所つまり御旅所が、現在の奥津宮の前身であったと伝えられています。

なお、現在は奥津宮に多紀理比賣命(たぎりひめのみこと)、奥津宮のそばに建つ龍宮(わだつみのみや)には龍宮大神(竜神)が奉斎されていますが、ご本尊の遷座は行われていません。

【補足🐣ピヨ01】江島神社の三社の名称の変遷

 下之坊(下ノ坊)明治維新以前の呼称明治維新以前の祭祀者・別当職
辺津宮下之宮、下宮、下ノ宮 下之坊(下ノ坊)
中津宮上之宮、上宮、上ノ宮 上之坊(上ノ坊)
奥津宮御旅所、本宮御旅所(本社)岩本院(巌本院、岩本坊、中ノ坊)
岩屋本宮、巌屋、巌穴、龍穴、金窟、龍窟、洞窟、蓬莱洞




奥津宮の御朱印の種類

江島神社の御朱印は、以前は「江島神社」と「弁財天」のみでしたが、2019年に10種類以上に増えています。

その際、奥津宮関係では「奥津宮」「龍宮」「八方睨みの亀」の3種類が新たに加わっています。

奥津宮の御朱印

  • 初穂料(値段):300円
  • 授与場所:辺津宮前の授与所

奥津宮境内社「龍宮」の御朱印

  • 初穂料(値段):300円
  • 授与場所:辺津宮前の授与所

奥津宮天井画「八方睨みの亀」の御朱印

 

  • 初穂料(値段):300円
  • 授与場所:辺津宮前の授与所

なお、江島神社のすべての御朱印は、辺津宮の社務所で授与されています。奥津宮では授与されていませんので、ご注意ください。

※江島神社の御朱印について詳しくは、当サイトの「【限定御朱印もあった!?】江島神社の御朱印の「種類・初穂料(値段)・授与場所・授与時間など」」でご紹介しています。

奥津宮の境内見どころ

本殿

奥津宮の拝殿からは、んなんとぉぅ!本殿が見えます。手前両脇には江島神社の守護神であり主祭神の弁財天と、その夫神となる龍神の絵が描かれた巨大しゃもじが飾り立てられています。⬆️奥津宮本殿

奥津宮の本殿は辺津宮の本殿に負けじと劣らない造りの豪壮感あふれる造りをしています。

本殿のアップ画像

本殿には禅宗様式バリバリの詰組が用いられ、観音開きの框(かまち)が据えられた桟唐戸(さんからど)が見えます。神社の社殿というよりは、さながら堂舎という印象が濃いです。

そして、その扉の奥に御神体と思わしき、大きな神鏡が見えます。

斜め45度から見た御本殿

千木はない。鬼板と背高の箱棟が見える。まるで堂舎を見ているかのよぅ。神仏混淆時代の名残を彷彿とさせる。

真横からみた本殿

腰組も詰組が見える。それと写真には写していないが広縁下に亀腹が用いられていた。神仏習合時代の名残りとも言える

なお、江島神社には弁財天像が奉安されているのが、やはり、往時の神仏習合時代の影が色濃くチラつく。

向拝の蟇股(かえるまた)と簡素な舟肘木

本殿とは異なり、拝殿は意外に質素な造りである。

疎らに据えられたイバラ垂木

注目すべきは、分かりづらいが波模様なのか羽が生えているか、これは亀?玄武??‥‥と、その周りを波模様の透かし彫りで表現されている

巨大なしゃもじ

上述したように、本殿を向かい見て手前両脇には江島神社の守護神であり、主祭神の弁財天とその夫神となる龍神の絵が描かれた巨大しゃもじが飾り立てられています。

左に龍神が描かれたしゃもじには持ち手に「神威奉戴」の文字が見えます。左側は弁財天のしゃもじの持ち手には「萬福招来」の文字が見えます。

「萬福」とは言わずとも、「萬(万)」という漢字を担ぎ出し、「クソほど多い」を表現している。これに「福」と「招来」を付すことで「多幸が訪れる」とし、信仰すれば幸福が訪れるであろぅ。ふぉっふぉっふぉっ…. などと解釈される。

「神威奉戴」の意味とは、「神威(しんい)は神の威光、すなわち神徳を意味し、奉戴(ほうたい)とは、つつしんでいただく」という意味あります。

源頼朝寄進の鳥居

1182年(養和2年)4月5日に、源頼朝は江島神社を訪問し、奥州藤原氏討伐の悲願を果たすべく、弁財天に調伏祈願を行ったと伝えられています。

このとき、源頼朝が八臂弁財天とともに奉納したのが、現在の奥津宮に建つ石鳥居です。

なお、現在見ることのできる石鳥居は一部、新材で補修されています。過去に大風などの天災により、破損・修復を繰り返してきた歴史がゴザんす。

※八臂弁財天については当サイトの記事「江島神社「奉安殿・銭洗白龍王」」をご参照ください

苔むした石鳥居の姿には、鎌倉時代当時の貫禄と、江島神社に流れてきた長い時間が感じられます。

八方睨みの亀(レプリカ)【藤沢市有形文化財】

奥津宮の拝殿の天井に、描かれた絵です。

江戸時代に、絵師の酒井抱一が描いて江島神社に奉納されたものですが、天井に見ることができるのはレプリカです。

実物は、1994年(平成6年)に片岡華陽によって復元され、藤沢市有形文化財に指定されていますが、現在は社務所に所蔵されています(非公開)。

「八方睨みの亀」の名称の由来は、天井からこちらを見下ろしている亀が、どの方向から見ても、こちらを睨んでいるように見えるからです。

龍宮

奥津宮の隣にある社殿は、龍神(龍宮大神)を祀る龍宮(わだつみのみや)です。

1993年(平成5年)に有志の手によって創建された新しい神社ですが、パワースポットとして人気があります。

岩窟の上に龍像が祀られており、さながら遊園地のお化け屋敷の隣あたりにあるアトラクションのようです。

竜宮の内部の様子

竜宮の内部の社殿アップ画像

龍宮の内部はコンクリートで固められた石積みに状態の洞穴になっており、正面奥に社殿が設置されており、この社殿の中に御神体が安置されています。御神体は鏡です。

正面向かい見て左端の金の昇り竜の彫刻が目を引きます。その下に昇り竜を見上げる銀龍の姿も見えます。これは地竜を意味するのだろうか‥。

龍宮と周辺の強力パワースポットについては、当サイトの下記ページにてでご紹介しています。

狛犬像

本殿(拝殿)を向かい見て「右側の狛犬像」

ウェ〜ぁ、↑

口を大きく開けた阿像。風邪ひいて医者に行くと鉄のアイスぺろぺろ棒を口に突っ込む前にこぅ言われる。

『はぃっ、口開けて〜‥‥、”ウェ〜ぁ”』

まさにこの「ウェ〜ぁ、」をしている時の顔そのもの。….ウェ〜ぁ、↑

風化していてよく見えないが「講中(上掲⬆️写真)」とその下に講のメンバーと思われる名前の刻字がみえる。江戸時代に空前のブームとなった江の島詣の盛況ぶりがうかがえる。

「宝暦十一年○巳七月 吉日」の刻銘が見える。宝暦十一年(1761年/将軍は10代家治公)

本殿(拝殿)を向かい見て「左側の狛犬像」

口を閉じた吽像。‥‥と言いたいが、閉じてはいるが歯並びによほど自信があるのか、ドヤ顔で歯を嫌味なほど見せているので厳密には口が開いている。

歯並びはガクトと勝負できる。ウェ〜ぁ、

此方の狛犬像はなぜか「明治廿六年 巳 八月 」‥‥‥?と刻字されている。

このような狛犬像は台座と狛犬像がすり替えられている例もあるので、あまり参考にはならない。

だが、狛犬像を1躯(体)で奉納する例は稀有なので、本来、双方とも同じ年代に奉納されたものだと思われる。‥‥‥となれば宝暦が有力か。ウェ〜ぁ、

なお、上記の説はまんざらでもなく、藤沢市の報告によれば「追刻」と記載していることから、本像は宝暦に造立され、明治になってから追加する形で刻字されたことになりまする。

亀の意匠があしらわれた手水舎

亀が水がしたたれ落ちる龍口になっており、もはや亀口とも言える。

沓石の亀像にも注目!

奥津宮の拝殿を向かい見て右手前の神苑(広場)

奥津宮の拝殿を向かい見て右手前には草が生い茂った広場がありますが、ここには以下のような見どころがありまする。ウェ〜ぁ、

亀石(亀甲石)

たて寸:約90cm、幅:約60cmくらいの亀の形をした石コロころころドコいった‥‥‥です。

この亀石にはちょ〜っとした由来がありまする。

詳細は下記ページにて!ウェ〜ぁ、

力石

「力石」とは、主に江戸時代の民衆の間の遊び・余興のようなもので、持ち上げることで誰が力持ちかを競う遊びのことです。

この石は、弁財天の祭礼に参詣した人々の前で力持ちを競った際、当時、日本一の力持ちと呼ばれた「三ノ宮卯之助」が奉納とされる石コロころころドコいった‥‥です。

石には「奉納 岩槻 卯之助 持之 八拾貫」という刻字がみえますが、当時の1貫の重量は3.7グラムなので、約300キロはあることになりまする。

三ノ宮卯之助とは?

卯之助は1807年(文化4年)に岩槻藩(埼玉県越谷市)の三野宮に生まれたことから、「三ノ宮卯之助」と号しています。

自慢の力を見せ物にして諸国を興行し、その名は天下に聞こえ、実際に1833年(天保4年)に時の将軍11代「家斉」公の前で芸も披露したそうな。ウェ〜ぁ、

卯之助は江の島の他にも自らの名を刻んだ力石を各地に残しており、例を挙げると次のような場所になりまする。

卯之助の力石が見られる場所一覧
  • 鎌倉鶴岡八幡宮
  • 川崎大師
  • 富岡八幡宮(江戸/現在の江東区)
  • 三野宮香取神社(出身地の越谷)
  • 諏訪大社(長野県)
  • 大阪天満宮(大阪府) ….etc
案内板の内容

江戸時代に日本一の力持ちと言われた卯之助(岩槻藩)が当神社に奉納したもの。重さ八十貫(約320キロ)で石には「奉納 岩槻卯之助持之八拾貫」と刻まれている。

弁財天の祭礼に詣でた人々の前で力競技を行った時のものである。

御神木

樹齢100年にも及ぶであろう木が祀られていまする。紙垂が取り付けられている。

紫陽花

⬆️写真は7月下旬に撮影したものなのですでに枯れてしまっている。6月中に訪れると開花しまくったキレイなアジサイを拝むことができるであろぅ。

江の島のサムエルコッキング苑前の広場や、中津宮・辺津宮境内でも紫陽花が見られますが、江島神社の境内地としてはこの奥津宮で見られる紫陽花がもっとも多い印象をうけまする。

夏時期になると蚊に噛まれることもあるので、ちょぃと茂みに入るのは避けたくなるものですが、この神苑(広場)では紫陽花がそれなりに植栽されており、江の島屈指のアジサイをご覧いただけることでしょう。ウェ〜ぁ、

紫陽花は遅くても7月いっぱいまでに剪定しないと来年、咲かないことがほとんどであることを加味すれば、管理されている方がいることを意味します。

例年、6月頃に訪れると江の島屈指となる紫陽花を見られることでしょう。ウェ〜ぁ、

山田検校の銅像と山田検校顕彰碑

奥津宮境内には、江の島と縁が深い山田検校の功績をたたえ、1917年(大正6年)の100年忌を記念して、幸田成幸(露伴)撰の顕彰碑と、山田検校の座像姿の銅造が建てられています。

江島神社・奥津宮の石碑と灯籠一覧

この奥津宮の周辺にも曰く付きの石碑や灯籠が奉納されていまする。

詳細は下記ページにて述べてい‥‥‥申す。グハっ

奥津宮の授与所

奥津宮でもお守りを授与されています。場所は奥津宮の真正面にあります。警備員の方が待機する詰所のような小ぢんまりとした授与所です。

江島神社のお守りや御朱印に関しては下記ページをご覧くださいな。ウェ〜ぁ、

江の島観光にオススメのコース

辺津宮から中津宮、中津宮から奥津宮までは、それぞれが徒歩10分ほど。

もちろん、中津宮までは江の島エスカーがあるので、歩きが苦手な方もこれなら安心

ただ、せっかく江の島に来たのであればぜひ!歩いてもらいたいところ。ウェ〜ぁ、

道中には様々な江の島らっしぅぃお店が軒を連ね、江の島の昔ながらの風情を満喫することができまする。

江島神社の問い合わせ先

住所:藤沢市江の島2-3-8
TEL:0466-22-4020

江島神社への交通アクセス

江の島の観光スポット一覧

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