【限定御朱印あり】江島神社「一の鳥居(青銅の鳥居)」【藤沢市指定文化財】

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江島神社「一の鳥居(青銅の鳥居)」

  • 材質:青銅
  • 鳥居の形式:明神鳥居
  • 大きさ:高さ約5.52m、幅/約6m
  • 願主:新吉原弁財天講 有志一同
  • 作者(鋳物師):粉川市正藤原国信
  • 藤沢市指定文化財登録年月日:1997年(平成9年)

青銅の鳥居の歴史

江島神社へ至る参道ともなる「弁天橋」を渡ると、青銅の鳥居が視界にイヤでも入ってきますが、実はこの鳥居は3代目の鳥居です。つまり過去に2回、建て替えられています。

以前、この鳥居には前身となる木造の鳥居があり、1744年(延享元年)頃から老朽化が目立ちはじめ、ついにその3年後となる1747年(延享4年)2月に、武蔵国 多摩郡 真光寺村 在住の江島弁天講の榎本忠右衛門なる人物が願主となって銅製の鳥居の建立を発願します。

その後、経緯は定かではありませんが、1821年(文政4年)3月に下之坊恭真が願主となり、再鋳されています。

新吉原弁天講の発願によって再建されており、この再建後の鳥居が現在、見られる青銅鳥居の姿でゴンす。

吉原遊廓の有志一同が奉納した理由

江島神社の本殿に奉斎される弁天は財運招福の霊験あらたかな神仏として、古くから篤い崇敬が寄せられており、そんなことから、江戸の商人たちの中には江ノ島へ参拝行きたい人が大勢いたのです。

そこで時折、出開帳として江戸の富岡八幡宮などで特別に一般公開される時があったのですが、ここで江戸中の人々の注目を集めるとともに信仰も集めます。

やがて信仰がエスカレートすると、「講」が生まれ、多くのグループが作られたのです。

その講の中の1つに吉原で結成された「新吉原講」なるものがあり、これがまず、青銅の鳥居を新吉原講が奉納した理由になるでガンす。

えっ?!一の鳥居は3つ目の鳥居だった?!

この青銅の鳥居(”惣鳥居”とも)をくぐった先の左脇には「絵図屋(現在の堀内商店)」という屋号の家宅があり、江ノ島島内の案内地図を版行して、それを参拝客に売っていたようです。

⬆️「江ノ島 一望図」絵図屋善兵衛版

この絵図屋善兵衛が描いた案内図によれば、江戸期の江ノ島は、まず、この青銅の鳥居をくぐる前にも2つの鳥居があったことが描かれています。

  • 一の鳥居:遊行寺前
  • 二の鳥居:洲鼻通り
  • 三の鳥居:この青銅の鳥居(江ノ島入口)

残念ながら、遊行寺前(現在の清浄光寺(しょうじょうこうじ)のこと)の鳥居と、洲鼻通り(江ノ電江ノ島駅から江の島大橋手前までの通り)の鳥居はすでになく、現在はこの青銅の鳥居だけが現存しています。

なお、洲鼻通りには「杉山検校(江戸の有名な鍼師)」が寄進したと伝わる「弁天道標」が建てられており、この弁天道標に刻まれた文字は次のようになります。

  • 正面梵字の下「ゑのしま道」右側面「一切衆生」左側面「二世安楽」

以上のような事実からも理解できるとおり、江戸時代、江ノ島弁天に詣でることのご利益と、その信仰が江戸中に浸透していた背景を物語っています。

⬆️洲鼻通り

⬆️洲鼻通りの石碑

清浄光寺(遊行寺)から江ノ島までのアクセス地図


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青銅の鳥居の奉納者は東京・吉原の花魁?

青銅の鳥居の奉納者一覧(鳥居の柱の刻銘)

世話人 八百屋善四郎(東京浅草新鳥越町)※高級料亭「八百善」

願主 榎本忠右衛門、新吉原弁財天講 一同(下記)

  • 新吉原妓楼大旦那:海老屋吉通、佐野屋四郎兵衛、江ノ島屋利助、岡本屋長兵衛、扇屋宇右衛門、大黒屋勘四郎、松葉屋半蔵….etc

鋳物師:粉川市正藤原国信

世話人 八百屋善四郎

「世話人 八百屋善四郎」とは、東京浅草の新鳥越、もしくは東浅草の山谷にあった「八百善」という八百屋の4代目店主です。八百屋善四郎は食べ物好きがこうじて後に八百屋を料亭に改装しています。

「松葉屋半蔵」とは?

江戸(東京)吉原にあった遊郭「松葉屋」の主人と云われます。

「松葉屋内代々山」

上記、松葉屋に在籍していた「代々山」という花魁の名前もみえます。

以上、これらの奉納者の名前を見て考察すると、遊里や浅草御蔵前・諏訪町・木材木町など、その界隈の人物だということが分かり申す。

江島詣は女性に人気があった!なぜ女性に人気を博したのか?

江島詣は特に女性に多大な人気を博し、女性信者からの信仰が夏の暑さよりも厚かったと言われています。

この理由については次のような事柄が挙げられまする。

  • 江戸時代、江戸から江ノ島までは関所がなかった(関所は箱根に設けられていた)
  • 女人禁制が厳しかった時代。女性でも島である江ノ島には入ることができた。

…etc

江島神社の青銅鳥居の特徴や見どころ

「江島大明神」の扁額

青銅の鳥居正面上部に見える扁額(へんがく)には、「江島大明神」と刻まれています。

この文字は、鎌倉時代の文永の役(蒙古襲来)に勝利した折、その記念に後宇多天皇(ご うだ てんのう)から贈られた勅額の写しです。

なお、江戸後期に編纂された「風土記稿」によれば、以前の鳥居には「大弁財天」という額が掲げられていたことが記されてい申す。

両柱下部の銅板巻き(沓巻)の模様

波模様は弁財天を示す紋でもあります。江島神社の社紋は「向い波の中の三つの鱗」を表現しています。

昔の江ノ島は本州と陸続きでつながっていましたが、やがて、が侵食、海進が進み陸の孤島となっています。その江ノ島の有り様を反映させた模様といえるでしょう。

弁天大橋から向かい見て左側の鳥居の柱

⬆️銅造の沓巻と沓石

弁天大橋から向かい見て右側の鳥居の柱

⬆️右側の鳥居の柱の底部には沓巻があるが沓石がない。

高さ約5mに及ぶ「大茅の輪」

画像提供:タウンニュース

2020年よりこの青銅の鳥居には、毎年6月30日の「夏越の大祓」に合わせて、茅の輪の設置が開始されています。

ご存知の通り茅の輪には邪気や病魔、穢れなどを祓う霊力があるとされることから、2020年に蔓延した新型コロナウイルスの感染症退散を祈念する目的で設置が開始されていまする。

なお、茅に使用された材料は、島内に自生するカヤなどを使用したとのこと。

青銅の鳥居の限定御朱印あり!

冒頭でも述べたとおり、この青銅の鳥居は1821年に建て替えられた鳥居であり、2021年度を以って200周年を迎えていまする。

そこで、青銅の鳥居を管理する江島神社では、これを記念した御朱印を希望者に頒布してい申す。初穂料(値段)は500円也。

江ノ島仲見世商店街(門前町)

この江島神社も往時は神仏習合の時代があり、岩本院という寺院が江島中の神社仏閣を取りまとめていました。

往時の本殿は現在の岩屋の奥にある「江島神社発祥地」とされる場所であり、その本殿まで続く新たな参道がこの青銅の鳥居から始まります。

かつて人々は岩屋までの参拝を終えると、帰りにこの商店街でお土産を買ったり休憩したり、中には宿泊する者もいたのでしょう。

宿泊に関しては現存する岩本楼や恵比寿屋などは往時の名残りです。

以上、この青銅の鳥居同様か、それ以上の歴史が仲見世商店街にもあるということです。

青銅の鳥居から左側一帯には昔ながらの民家が並ぶ

この青銅の鳥居をくぐって本殿を目指す人がほとんどですが、この青銅の鳥居の手前から左側へ進むとヨットハーバーの方へ行きます。その道中や少し奥ばったところは、昔からの江ノ島の風情が味わえます。

釣具屋や旅館、食堂などが見れます。

なお、この一角からも江ノ島の山頂にあるサムエルコッキング苑を目指せます。

江ノ電バスの江ノ島バス停

江ノ電が運営する「江ノ電バス」は江ノ島大橋を走行して江ノ島の島内まで入っています。ちょうどこの青銅の鳥居の前には観光案内所とそのすぐ後ろの江ノ電バスの「江ノ島バス停」があります。

この停留所からは藤沢駅、大船駅へ行くことができます。

その途中には江ノ電の江ノ島駅や湘南モノレールの江ノ島駅にも停車しますので、帰りは橋を渡らずに一気に各駅までワープすることもできまする。

なお、江ノ島島内まで運行するバスは江ノ島大橋の交差点が渋滞すると予想外に時間がかかってしまいますので要注意です。


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江ノ島観光案内所

ちょうどこの青銅の鳥居前には江ノ島で唯一となる「観光案内所」があります。往時の絵図屋のように現代ではカラフルふるフルな案内地図を無料で配布しています。

ここから岩屋まで行く方はぜひ、案内地図を片手に進むことをオススメしておきます。(時折、割引クーポン券やサービス券を配布している場合もあります)

江島神社青銅の鳥居の場所(地図)

  • 最寄駅:片瀬江ノ島駅
  • 片瀬江ノ島駅からの所要時間:約9分

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