「琵琶小路」の地名の由来と意味や場所はドコ❓|鎌倉市 由比ヶ浜

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読み方

びわこうじ

琵琶小路とは❓

現在の若宮大路の一部に組み込まれているので、すでに現存せず。

1685年(貞享二年)に編纂された新編鎌倉誌には、「八幡宮のニノ鳥居と三ノ鳥居の間の路地。古くは外側へ曲がり、琵琶の形の如し。故に琵琶小路と云う」

と記される。

現在でもニノ鳥居からJRの高架、鎌倉女学院あたりの平均海水面から3メートルほどの高さなので往時はまさにぅぃ!琵琶の形状をした低湿地だったと推定されてい‥‥‥申さん。あイヤ、やっぱ申す!ガフェっ


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琵琶小路の歴史

鎌倉攬勝考には、「浜ノ大鳥居の辺りを琵琶小路と唱う」と記すほか、次のようにも記される。

「ニノ鳥居より(浜の)大鳥居までの間を名附(名付ける)。古へ此の所(この場所)に弁天の小祠在りて道まかれるゆへ(曲がるがゆえ)、此の弁天祠を右大将(頼朝卿のこと)、八幡宮の池辺へ移し給ひ、路を直くし給ふ。
弁天の像は琵琶を持給ふゆへ、地名として古へ此の所を琵琶小路と唱ふ(となふ/そう言われる)」

この内容によると、現在の浜ノ鳥居辺りに弁財天を奉斎した小祠(ほこら)が在って、その祠を源頼朝は八幡宮を造営した折、新しく造池した池へ移したとある。

つまり、この小祠は現在の源平池に佇む旗上弁財天社に比定できる。

鎌倉時代前期の歴史書『吾妻鏡』によると、1182年(養和二年)4月20日、源頼朝卿は自らが伊豆流人時代に師事した伊豆山権現の大法師・専光房 良暹(せんこうぼう りょうせん/後に別当)や、当初は平家方の武将だったが、最終的に源氏側について源平合戦を戦った大庭景義(おおばかげよし)らに命じて池を掘らせたと伝わる。

また、弁天の祠が在った周辺の道は沼沢地(湿地帯)だったので、路(道)もそれ(湿地帯)を避けるようにして敷かれていたので、まるで琵琶の形に似ていたが、頼朝卿はその曲がりくねった路(道)を整備して直線状にした。

この曲がりくねった道というは現在の若宮大路の成立と見て間違いないだろぅ。

だとすれば当弁財天は頼朝卿が鎌倉へ入部した以前(鎌倉幕府創設以前)から当地(若宮大路)にて奉斎されていたことになるが‥‥‥はてさて。

琵琶小路には橋が架かっていた❗️

当地から見て北西にあたる佐介ヶ谷から流下する佐介川が、ちょうど当地のあたりで若宮大路(琵琶小路)を横断しており、その上に橋が架けられていた。

その橋は当地の地名を取って「琵琶橋」と呼ばれていたらしい。なお、現在は暗渠化(あんきょか)していて地下を南流する。

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