【鎌倉市指定文化財】畠山重保の墓(宝篋印塔)の場所や歴史を…知るつもりぃ❓|若宮大路

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畠山重保の墓(供養塔)

  • 建立年(奉納された年):1393年(明徳四年)
  • 高さ:3m45.5㎝
  • 形式:宝篋印塔
  • 材質:安山岩

畠山重保の墓(供養塔)が当地に建てられた理由

1205年(元久二年)6月22日の寅の刻(午前4時頃)、北条時政とその嫁の牧ノ方の謀略によって、ちょうど現在の畠山重保の供養塔が建つあたりに誘い出された畠山重保は、三浦義村に討ち取られた。

また、その日の夕方、重保の父・重忠も武蔵二俣川(ふたまたがわ/現・横浜市旭区二俣川町)にて北条義時軍の迎撃によって討たれた。

後年、そのような事情を知る者が、重保の菩提を弔うために五輪塔を建てたと伝わる。


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宝篋印塔の礎石部の刻銘(陰刻)

宝篋印塔の基礎部分(道路側)には以下のような陰刻(刻銘)が見える。

上掲写真右側から‥‥‥

『明徳第四(1393年)』

『癸酉 霜月三(11月3日)』

『日 大願主(願主とは奉納した人物)』

『比丘 道有(道友?)(道有は人物。比丘とは修行僧を指す)』

この道有(道友?)なる人物の正体は現在までの調査において明らかにされておらず、未詳とされる。

室町時代の五輪塔の特徴❓

塔身と基礎の風蝕が著しい

まず、室町時代に造立されたとは信じがたいほど状態が良く、塔形も同時代の塔としては均衡がよくとれていて秀作に位置付けられる。

しかしながら、塔身部分の梵字と基礎部分の陰刻は読み解くのに時間を要するほど風蝕が進んでい‥‥‥申す。ワっ

相輪(そうりん/先っちょの飛び出た棒)が太く長い💋

宝篋印塔の笠上部分の相輪の長さと、それより下部の塔身と比較した場合、鎌倉時代の五輪塔と比べて室町時代の五輪塔は相輪が長く、例えば本塔をモデルとした場合、相輪が占める割合は総高の実に37.3%にのぼるとのこと。

鎌倉市指定有形文化財である

現在までの通説では室町時代に造立された宝篋印塔は本塔のように相輪が長く、姿態全体を見渡して大型のものが多いと云われる。

本塔はまさにその室町初期の特色を色濃く残す宝篋印塔としては他に類例を見ないとして珍重されてい申す。アフェっ

それゆえ昭和46年9月11日に鎌倉市指定有形文化財の指定を受けるに到る。

蓮華座部分に注目〜!

下部は2つに区分けされており、格狭間(こうざま/壇の羽目などに彫りこんだ刳り形(くりかた)の装飾)を刻まない。

返花座の線刻

蓮弁は1辺に対し2葉を刻む。(角部位を除く)

同時代の宝篋印塔を例にとった場合、この塔は造形したというよりは、むしろ線刻に近いものがあり、言うなれば横着して作られた感が否めない。

 名古屋市熱田区で見つかった1370年(応安3年)銘 宝篋印塔(基礎部)。基礎部に格狭間の意匠がみえる。

名古屋市瑞穂区で見つかった中世後期の作と見られる宝篋印塔(基礎部)。同様に基礎部に格狭間の意匠がみえる。

このような蓮弁の表現は室町時代に見られる宝篋印塔の特徴の1つとされる。

宝篋印塔とは?

宝篋印塔(ほうきょういんとう)とは、鎌倉中期以降、各地で造立された石塔。

内部には、豊胸‥ではなく、宝篋!印陀羅尼(ほうきょういん だらに/呪文)と呼ばれる陀羅尼(だらに)が収められているのが特徴となる。

【おまけ】宝篋印塔の各部位の名称

画像引用先:https://ja.wikipedia.org/

畠山重保の墓(宝篋印塔)には摩訶不思議なご利益がある⁉️

なんでも、往時は竹筒にブチ流して入れた茶を本塔(墓前)に奉納して、お祈りすると咳(せき)の病を治癒できたり、はたまた、咳の病に罹らないとするような信仰があったとのこと。

また、上記の伝承を知る地元民は、畠山六郎に因んでこの墓を「六郎様」と呼びならわし、現在でも竹筒に茶を入れて供じているとのこと。

時折、香華(こうげ/仏前に供する花)の献花がが見られる。

ところで‥‥‥本当に畠山重保の墓なのか❓

実はこの宝篋印塔が畠山重保の墳墓と呼ばれるのは、古くからそぅ呼ばれるだけであって、実際のところはどうなのかは判然としない。

しかしながら、鎌倉時代ではないが、どうやら室町時代に造立された可能性は極めて高いとのこと。

畠山六郎は1205年(元久二年)6月、由比ヶ浜で三浦党によって誘殺されており、その事実を以ってしても時代的に符号しないが、室町時代になって畠山六郎ゆかりの者が当人を偲んで当地に建立したとも考えられる。(単に後世の仮託ともみれるが‥‥)

ちょぃと下掲の墨絵図をご覧くだせぇ。ヘぇハぁ

この絵図は江戸期に再版された本鎌倉絵図になる。

左下に描かれるのは、五輪塔にはなるが、これが畠山六郎(重保)の墓石となる宝篋印塔となる。

他の絵図を見ても当地に描かれていることから、室町期以降、現在に到るまで当地に畠山六郎の供養塔があった事実はほぼ間違いなと思われる。

新編鎌倉誌に「由比ヶ浜にある五輪を云う。明徳第四‥‥‥と切付ける‥‥」などの記載があり、はたまた、室町中期の臨済僧万理集九(ばんりしゅうく)が1480年に著した「梅花無尽蔵(ばいかむじんぞう)」にも「六郎の五輪を道端に指す」‥‥などと記されるように室町時代から江戸時代を通して当地は一種の目印的な役目も担っていたとみれる。

畠山重保の墓(供養塔)の場所(地図)

  • 所在地:鎌倉市由比ヶ浜2丁目14-5

若宮大路沿い、一の鳥居付近に佇む。

鎌倉駅から徒歩約10分。

横浜の禅林寺にも畠山重保の墓があるぅ❓

伝承によると、横浜市金沢区釜利谷南1-5に位置する禅林寺の境外墓地にも畠山重保の墳墓があるとのこと。

なんでも重保が当地に逃れてきて、いよいよ追い詰められて自害した場所になるとのこと。

禅林寺の方の重保の墳墓は五輪塔になっていて、「伝畠山重保墓」として横浜市登録地域文化財の指定を受ける。

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