古帳庵の句碑
この石碑は謎が多いわりには、そこそこ知られた石碑であり、全国の寺社でも見かけることがあります。
奉納者は古帳庵こと鈴木金兵衛と、その妻と思われる古帳女。
鈴木金兵衛は、1781年(天明元年)に現在の埼玉県越生町黒岩の出身で江戸へ上京した後、小網町3丁目に住居を構え、商人として大成します。
ある時、商売を近縁の者に譲り、自らは六十六部(巡礼者)になって約10年かけて全国の神社仏閣を巡礼した人物とされています。
巡礼した折、石碑を奉納することもあり、これはそのうちの1つとされています。
1743年(寛保3年)の刻銘が見える石灯籠
弁天講中の信者一同により奉納された灯籠と思われる。名前が無数に刻字されている。この信者の多さからも往時の江ノ島詣のブームというものの凄さがシンミリと伝わってくるというもの。オホ
市村座奉納灯籠一対
1777年(安永6年)に江戸葺屋町(ふきやちょう/現在の中央区日本橋人形町)にあった芝居小屋の市村座が奉納した灯籠。
市村座は、1667年(寛文7年)頃、市村宇左衛門が始めた芝居小屋でゴンす。
1842年(天保13年)に葺屋町から猿若町(さるわかちょう/現在の台東区浅草)へ移転し、1892年(明治25年)には下谷二長町(現台東区台東)へ移転。
大正から昭和初期にかけては、初代中村吉右衛門や六代目尾上菊五郎が活躍しましたが、1932年(昭和7年)に焼失し申す。
中村座奉納灯籠一対
1782年(天明2年)に江戸堺町にあった芝居小屋の中村座やその関係者一同が奉納した灯籠でゴンす。
中村座は初代中村(猿若)勘三郎によって1624年(寛永元年)に中橋広小路(現在の中央区京橋)に「猿若座」という名前を付して開演。以来、隆盛の一途をたどり、江戸で最も知られることなる芝居小屋です。
1651年(慶安4年)に堺町(現在の中央区日本橋人形町)へ移転し、さらに1842年(天保13年)には猿若町(現台東区浅草)へ移転しています。
明治時代にも移転し、名前を変えたようですが、1893年(明治26年)に焼失しています。
なお。この中村座の座元の家柄が中村家(中村屋)です。
春日釣灯籠の石碑
刻銘
- 昭和3年 1月巳日
- 東京市芝区三田南町町2丁目
- あるまん古太輔 吉永富久