鶴岡八幡宮のご祭神
- 「八幡神(はちまんしん、やはたのかみ)」
八幡神の別名
現在では一般的に「八幡さま」の通称で知れているが、「八幡三神」、「八幡大菩薩」などとも呼ぶ。
なお、八幡神とは1柱(1人)の神を指すのではなく、以下の三柱(3人)の神の総称をいぅ。
八幡神一覧
- 応神天皇(おうじんてんのう)
- 神功皇后(じんぐうこうごう)
- 比売神(ひめがみ)
応神天皇
上記では3人(三柱)と解説したが、厳密に八幡神を定義すると「応神天皇(誉田別尊/ほんだわけのみこと)」のことを指すとされる。
神功皇后
上記、応神天皇は第15代天皇だが、その母ジャが‥なんとぉぅ!神功皇后だったのだ。
つまり、親子が神として奉斎されていることになる。
しかしこの親子には、ちょっとした奇譚が語り継がれている。
神功皇后は応神天皇を身ごもりながら、三韓征伐(さんかんせいばつ)に赴いたが、途中の陣中にて臨月が訪れた。
その折、「三韓征伐を成し遂げるまで子の誕生は待ってほしい」と祈ると、不思議しぎしぎ摩訶不思議!なんとぉぅ、三韓征伐を見事果たし、帰国の途につくまで臨月は来なかったと云われる。
つまり、応神天皇からすれば母の腹の中(胎内)にて、今か今かと、まるで芸人がウケを狙って勢いよく舞台に飛び出し客席を温めるかの如く、まさに飛び出す日を待ちわびたことになるが、それゆえ応神天皇は別名で「胎中天皇(たいちゅう てんのう)」とも呼ばれる。
比売神
比売神は謎が多い神。
八幡宮の総本宮たる大分県の宇佐八幡(宇佐神宮)および、石清水八幡(京都)では多岐津比売命(たきつひめのみこと)、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、多記理比売命(たぎりひめのみこと)という3女神、つまり、「宗像三女神(むなかたさんじょしん)」として奉斎してい‥‥‥申す。ギギュェっ
しかしながら、宇佐八幡(宇佐神宮)に伝わる「宇佐神宮由緒記」によると、アマテラスとスサノヲのウケヒによって顕れた三柱の比売大神とされ、筑紫の宇佐島に天降ったと記されてい‥‥‥申す。グヒェっ
また、宇佐地方では八幡神が世に顕れる以前よりの土着の地主神であるとしている。
奈良の春日大社にも比売神が本殿御垣内の第四殿にて奉斎されているが、当社においては天児屋根命の妻である「天美津玉照比売命(あめのみつたまてるひめのみこと)」としてい‥‥‥申す。ジャヘェァっ
他説では、応神天皇の皇后とする説もある。
鶴岡八幡宮のご利益(御神徳)
- 武人の神(勝負事の神※勝運上昇)
- 弓箭/弓射の神(技芸上達)
- 八幡神の神使「神鳩」(国家安寧・天下安穏)
- 厄除け
通説では、応神天皇を主神とする八幡宮は、弓の神、武運の神、戦勝の神として、武将たちの信仰を集め、現在では勝負運や仕事運を司る神とされている。
応神天皇と神功皇后は大陸の文化を積極的に取り入れ、国土の繁栄をもたらしたことから、国土安泰や国土発展の利益があるとされるが、これを基とし、家内安全、家内安泰の利益もあるとされる。
また、冒頭で書き述べたように神号皇后は応神天皇が戦時中に生まれる不幸を回避すべく、真摯に祈りを捧げて臨月を遅らせた故事から、母の慈愛の象徴と崇められた。
それゆえ、後に母子神信仰なる信仰が生まれ、慈愛と子供の育成を見守る利益があるとされてい‥‥‥申す。チャヅケ ハ ナガタニエンっ
同じ八幡神を奉斎する石清水八幡宮のご利益
伝承によれば、鶴岡八幡宮の主祭神は京都・石清水八幡宮の神霊を分神として勧請(御霊の移動)してきたとされる。
その石清水八幡は古来、全国屈指の「厄除け」の利益で有名。
八幡神を奉斎する総本宮は九州大分の「宇佐八幡宮」!
実は石清水八幡も宇佐八幡宮から八幡神を勧請して奉斎していることから、八幡宮の総本宮となるのは宇佐八幡宮となる。
その宇佐八幡宮では、厄除開運や家内安全、交通安全や必勝などの利益があるとしているが、宇佐地方では宇佐八幡(宇佐神宮)の草創に際し、次のような奇譚が語り継がれている。
欽明天皇三十二年(562年)のこと。現在の宇佐八幡・奥宮が建つあたりの池に8つの頭を持った鍛治翁(かじのおきな)という老仙人が現出したそうな。
しかし、その姿を見た者は全員、命を落としたとのこと。
この話を耳にした大神比義(おおがのひぎ)という者が、その様子をさぐるために翁のもとへ旅立った。
翁の前まで辿り着いた大神比義は、何を考えたのか突如、鍛治翁の前で祈りを捧げはじめた。そして、彼此と祈りを捧げはじめてから3年の月日が経とぅとしていたある日のこと、突如、3歳の小さな童子が大神比義の目の前に現れ、こぅ告げた。
『自らは八幡神。すなわち応神天皇である』
以上のような伝承をもとにすると、八幡神とは本来、鍛治(かじ)、つまり、製鉄業を営む者たちが祀った神でだったという見方もある。うきゃ
八幡神の利益は八幡信仰により変化している?
八幡神は中世になると源氏一門から多大な信奉が寄せられるようになり、やがて源氏の氏神となった。
上述した「鍛治(かじ)」とは、「金属を鍛錬して製品を製造する」ことを言うが、その鍛治を用いて鍛錬することで完成させる産物の1つに刀剣がある。
それゆえ、武家の一門たる源氏の崇敬が寄せられたのかは判然としないが、源氏の御曹司(源氏嫡流)の中でも、後世にまで名前を轟かせた源義家は、京都の石清水八幡宮で元服の儀式を執り行い、その後、自ら「八幡太郎」と名乗った話は有名である。
その八幡太郎義家公から5代後の御曹司である源静香‥‥ではなく、源頼朝卿!!は、義家公は祖霊として八幡神と同等に崇め、鶴岡八幡宮を鎌倉に創祀。静香ちゃんといえば名物・風呂のぞき💕 ..なんの話や
やがて、源氏の八幡信仰は武家の間で爆発的な広まりを見せ、八幡神は「弓矢の神」として武神的神格を有した神として全国各地に八幡神を祀る社殿が築かれていったとされる。クッ、ココココココココっ おっ、武神だけに武神の鑑:王騎将軍登場っ!トゥっ!
鶴岡八幡宮の関係社と奉斎される神祇一覧(場所)
本宮(御本殿)
御祭神:応神天皇、比売神、神功皇后(八幡三所大神※八幡大神※)
場所:楼門の後方。厳密に主祭神が奉斎される本殿は拝殿のさらに後方。大臣山の中腹に鎮座。
摂社・若宮
御祭神:履中天皇、仁徳天皇、仲媛天皇、磐之媛命
場所:舞殿を向かい見て左後方。柳原池の左脇。
関連記事:鶴岡八幡宮「若宮(下宮)」【重要文化財】
末社・白旗神社
御祭神:源頼朝命、源実朝命
場所:若宮社右脇にある柳原池のさらに右脇に鎮座
末社・武内社
御祭神:武内宿祢命
場所:本宮(本殿)の拝殿にある
関連記事:鎌倉・鶴岡八幡宮「武内社」【重要文化財】
末社・丸山稲荷社
御祭神:倉稲魂命
場所:本宮(本殿)を向かい見て左上の小山の上に佇む稲荷
関連記事:鶴岡八幡宮「丸山稲荷社」【重要文化財】
末社・祖霊社
御祭神:祖霊英霊
場所:舞殿向かい見て左脇の茂みの中
関連記事:
末社・旗上社(旗上弁財天社)
御祭神:多紀比売命、市守島比売命、多岐都比売命
場所:源氏池の池中
境内四隅の稲荷
偶然か否か、八幡宮には御本殿を取り囲むようにして境内四隅に稲荷が配されてい‥‥‥申す。ギャホェっ
- 本殿北側(境内北西隅):丸山稲荷社
- 本殿東側(境内北東隅):東山稲荷社(一般立ち入り禁足地)
- 本殿西側(境内南西隅):紅葉稲荷社(一般立ち入りは「二の午祭」の時のみ※平時は川向こうから遥拝)
- 本殿南側(境内南東隅):築山稲荷社
※このうち築山稲荷は横大路付近に住む氏子さんが管理されているとのこと。(祭事は鶴岡八幡宮の神職が奉仕)ウフ♡
飛び地にある関係社
末社・今宮社
御祭神:後鳥羽天皇、土御門天皇、順徳天皇
場所:本宮(本殿)の北側の大臣山の山裾。御谷休憩所(北側駐車場の奥の路地を入った奥。※付近に二十五坊跡がある)
関連記事:
境外末社・由比若宮
御祭神:応神天皇
場所:材木座
鶴岡八幡宮の御祭神「応神天皇」と「神功皇后」について
「応神」は死後に贈られた名前ですが、祭神名としては生前の名前である「誉田別命(ホンダワケノミコト/品陀別命)」が用いられることもあります。
第15代天皇に数えられる応神天皇は、歴史上実在した最初の天皇だと言われています。
応神天皇の御代は4世紀末の41年にもおよび、その間、大和朝廷は、朝鮮半島への進出、大陸文化の輸入、東国の平定などめざましい発展を遂げました。
応神天皇と共に祀られている神功皇后(じんぐうこうごう/オキナガタラシヒメ命)は、応神天皇の母神です。
応神天皇の父で先代の仲哀天皇が亡くなった時には、応神天皇を懐妊していたといい、このことから応神天皇は「胎中天皇」とも呼ばれます。
神功皇后は妊娠中に新羅に遠征し、相手を降伏させて帰国した後、出産したと伝えられています。
出産後は応神天皇を皇太子として自らが摂政となり、政治の実権を握りました。
応神天皇(ホンダワケノ命)が八幡神になった理由(経緯)
八幡神は北九州の豪族の氏神として宇佐神宮(宇佐八幡宮)に祀られていましたが、その後は大和朝廷の守護神としても信仰されるようになりました。
歴史上のある時から応神天皇(ホンダワケノ命)と同一視されるようになったとされていますが、詳しい理由については明らかにされていません。
ただ、平安時代後期の歴史書『扶桑略記』には、次のような話があります。
第29代欽明天皇の時(539年~571年)、豊前国(大分県)の宇佐郡にある厩峰(うまやみね)の麓の菱潟池のほとりに、奇妙な容貌の翁が住んでいました。
その土地の神主の大神比義(おおがなみよし)は、翁が金色の鷹や鳩に変身するのを目撃したことをきっかけに、それから老人に仕え始めます。
3年経ったある日、比義が「もし神ならば、私の前に姿を見せてください」と祈ると、翁は3歳の子どもの姿に変身して竹の葉の上に立ち、
「私は15代応神天皇であり、護国霊験威身神大自在王菩薩(ごこくれいげん いしんじんだいじざいおうぼさつ)である」
と名乗りました。
この伝説に似た話は、宇佐神宮の縁起としても伝わっています。
他にも、奈良の東大寺や大阪の住吉大社の資料にも八幡神を応神天皇とする記述が見られ、奈良時代から平安時代にかけて両者が同一視され始めたと考えられています。
宇佐神宮の『宇佐託宣集』や『豊前国風土記』によると、八幡神は「自分は中国(または新羅)の神だったが、今後は日本の神となる」というようなことを告げられたとされています。
このことも、中国や朝鮮半島とつながりが深かった応神天皇(ホンダワケ命)と同一視される1つの理由となったのかもしれません。
一般的に知られる応神天皇(ホンダワケ命)のご神徳
- 国家鎮護、殖産産業、成功勝利、教育、交通安全、悪病災難除け など
八幡神・応神天皇(ホンダワケ命)は、天皇の神霊であることから皇祖神とされ、皇室からも信仰されてきました。
さらに、平安時代末期から鎌倉時代にかけて源氏が守護神として祀ったことから、武運の神として長い間崇敬を受けてきましたが、上述の通り、現在は「勝運の神」として、仕事、文芸、縁結びなど幅広い「勝ち」を呼ぶ神として親しまれています。
また、聖母神の神功皇后(オキナガタラシヒメ命)は、縁結び、子宝、安産、子育て守護などの神として信仰されています。
鳩が「神の使い」になった理由(経緯)
鳩は、八幡神の使い「神使(しんし)」として知られています。
鳩が神の使いとなった理由には諸説あり、はっきりとしたことはわかりません。
上述の翁と大神比義の話もその一つですが、これ以外の説を、以下にご紹介します。
- 応神天皇が国内を平定する際に、鳩が案内役を務めた
- 八幡神社の総本宮・宇佐神宮から、京都の石清水八幡宮に分霊する際に、金の鳩が現れた(白い鳩が道案内をした)
- 源氏が八幡神に必勝祈願をした際に、金の鳩が現れた
- 八幡の「幡(はた)」、または「は」から「鳩」に変化した
ところで‥‥‥「八幡宮」とは?
八幡宮とは、その名の通り八幡神を祀る神社で、総本社は、奈良時代の創建とも伝えられる大分県の宇佐神宮です。
平安時代の859年に清和天皇が京都の石清水八幡宮に八幡神を祀り、後に、清和天皇の血を引く清和源氏を始めとする、源氏の氏神として信仰されました。
平安時代末期、石清水八幡宮で前九年の役の戦勝祈願をした源頼義が、勝利の後に石清水八幡宮の八幡神を分けて鎌倉に祀ったのが鶴岡八幡宮の始まりで、以降、八幡宮の分社は各地にできていきました。
ちなみに源頼義は、鎌倉幕府の初代将軍、源頼朝の5世代前にあたり、更に頼義の5世代前が清和天皇です。
前九年・後三年の役で大活躍した頼義、義家親子に対する武士としての尊敬と誇り、そして天皇から連なる血筋の高さが、
源頼朝を頂点とする鎌倉幕府と、頼朝が再興した鶴岡八幡宮を権威づけ、御家人をひとつにまとめることに繋がったのです。
関連記事一覧
関連記事: