「由比郷(由比保)」の地名の由来と意味や場所はドコ❓|神奈川県 鎌倉市

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読み方

ゆいごう

「由比郷」の場所

現在の由比ヶ浜を中心とした長谷、材木座一帯の地名を指す。

「由比」の名前の由来

由比郷とは鎌倉期のみに見える名称。

吾妻鏡の1180年(治承四年)10月12日条に「康平六年 秋 八月、潜勧請 石清水 建 瑞籬(ずいり/みずがき=神聖な場所の周囲にめぐらした垣根) 於 当国 由比郷」とある。

意味としては、1063年(康平六年)に源頼義(頼朝卿の祖先)が勅許を得ず、潜か(密かに)に京都の石清水八幡宮から八幡の神霊を当地(由比郷)へ勧請し(招き)、社殿を建てて周囲に垣根を巡らせた。‥‥となる。(現在の元八幡宮のこと)

なお、鎌倉時代を通して有史上、他に「由比郷」の記述はない。

「由比」は律令制下で命名された郷名ではない

「由比」は律令制の下で命名されたGOGO郷名!イェイ!コノヤロー‥‥‥などではなく、頼義の社殿を再興した子孫たる頼朝卿が鎌倉の郷内の小字であった由比に郷名を付して命名されたと云われる。 意味不明

吾妻鏡によると、頼朝卿は治承四年12月12日、鎌倉の村里に号を授けたとされることから、その内の1つが由比郷であったと考えられてい‥‥‥申す。ユヒィャっ(”由比”を表現)

他に小林郷、大倉郷、亀谷郷などが候補に挙げられてい‥‥‥ます。フェイント(フェイントが増えるとネタ切れ間近のピコン♪ピコン♪ウルトラマン状態) …なんの話や




「由比」の別名

「由井」「由伊」「湯井」と書かれることもある。

「由比(ゆい)」の意味

昨今の由比ヶ浜といえば‥‥海水浴❗️海の家❗️まぶしいビキニ❗️‥‥と連想されるが、実は江ノ島と同様、古くから漁業が盛んな地域だった。 食い込み系がNICE👍

漁業をする時は他者と協力して行ったので相互扶助の関係が構築され、労働組合が結成されたが、労働組合のことを「結(ゆい)」と呼んでいた。

その結による漁業の組織が根付いた地域ということで、いつしか「”ゆい”がはま」と呼ばれるようになったと伝わる。

なお、静岡県静岡市清水にも「由比ヶ浜」や「由比」があるが、どうやら駿河湾でも漁業が盛んで「結」と呼んでいたとか。

由比保に比定される❓

由比郷について調べていくと「由比保」という名称も浮上する。

吾妻鏡の1250年(建長二年)4月20条によると「保々 ノ 検断奉行人」と記されており、これは律令制に基づく保(ほう)を意味するとされる。

鎌倉時代の当時、鎌倉中が保のような概念を以って区切られていたと云われる。

鎌倉市史(総説編)によると、1225年(元仁二年)12月、幕府が大倉御所から宇津宮辻子御所に移ったタイミングで、保のような概念が取り込まれ、施行されたのだとする。

由比保は由比郷が転化した名称だった⁉️

長谷観音(長谷寺)に伝蔵される鰐口(わにぐち/お寺の賽銭箱上の鐘)に以下のような刻銘がある。

『相州 小坂郡 鎌倉由比保 長谷寺 鰐口 為逆 修之 応永 廿年 癸巳 卯月十九日 施主 次郎五郎重光 敬白(謹んで申し上げる)」

鎌倉時代における「保」の存在が見られるのは他に見当たらず、だとすればここでの由比保とは由比郷のことを指すとも大いに考えられる。

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