「丸山」の別名
- 聖天山(しょうてん やま)
- 鶯谷山(うぐいすがやつ やま)
地名(丸山)の由来
遠望の山の形状が”丸く見える”ことから丸山と呼ばれるようになったと伝わる。
⬆️現在、丸山の頂に佇む丸山稲荷社。
我が国では古来、物の形状を名称の由来とする習俗のようなものが散見される。キャキャキャ
ただ、現在の丸山には木々が繁茂していいて山の形が分かりづらい。また山の形を見られるロケーションも限定されることから山の形が把握しづらい。
1223年(貞応二年)に編纂された旅行記・「海道記(かいどうき)」の1223年(貞応二年)4月17日の頁には「宿ノ南ノ檐(のき)ニハ高キ丸山在リ」などの記載があり、現在までの通説ではこれが丸山の初見とされる。
海道記の作者は不詳とされるが、京都から鎌倉へ下向した作者が若宮大路から宿所に到着し、翌朝、宿所からの眺望を「宿の南側の軒に高い丸山が見える」と感想を述べてい‥‥‥る。カっ!
丸山の周辺は宿所が多かった
1798年(寛政十年)に制作された丸山周辺の様子を描いた「鎌倉勝概図」には「さる茶や」の名前が見える。
また、その下にも僅かに何らかの建物が描かれている。……。………?
丸山から巨福呂坂(こぶくろざか)、そしてその向こうに見える青梅聖天社(おうめしょうてんしゃ)の谷戸(やと)には、江戸時代から明治中頃まで上記の「さる茶や(猿茶屋)」や「丸屋」、「千代田屋」などの旅籠が置かれている絵図もあることから、この界隈には宿所が軒を連ねていた様子が想像できる。
中でも「さる茶や(猿茶屋)」は「遠馬茶屋(とおうまちゃや)」とも呼ばれ、100畳敷の座敷を有した鎌倉最大規模の宿所だったと伝わる。
「丸山」の場所
丸山は鶴岡八幡宮境内の本宮を向かい見て左脇に位置する。丸山には現在、丸山稲荷社が鎮座する。
丸山稲荷社の社号の由来も、まさにぅぃ!山容を形容した「丸山」からきているものと推察される。
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