佐助稲荷の過去の御朱印一覧

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NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人 放送記念の期間限定の御朱印」

 

この御朱印はNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の放送記念で頒布された御朱印となる。

上掲画像を見て分かるように大判サイズの御朱印になるので、たとえば通常の神社で見かける御朱印帳(縦寸16㎝ × 横11㎝)に貼り付ける場合、2ページ分の確保が必要となる。(お寺で見かける御朱印帳(縦18㎝くらい)よりも少し小サイズの御朱印帳)

なお、後述するがこの御朱印は縦寸が通常の御朱印より短いのでその分、小さくはなる。

御朱印の書かれている文章

平安末期の平治の乱により伊豆に流罪となっていた源頼朝卿に、ある夜、老翁に姿を変えた稲荷の神が夢に現れ、平氏討伐をすすめました。

頼朝卿はその神託に従い、平氏を討ち鎌倉幕府を開き、畠山重忠に命じて、稲荷神の祠を探索させて社殿を創建しました。

稲荷の神は佐殿(すけどの)と呼ばれていた頼朝卿を助けたことから佐助稲荷と呼ばれました。

「たすけ稲荷」とも呼ばれる

当社は地元では「たすけ稲荷」とも呼ばれる古社であり、この社号の由来とは次のようなものである。

あるとき病床にあった頼朝卿の夢枕に白髪の老人が立った。老人は煎薬(植物の根や実を煎じた薬)を頼朝に下し、こぅ告げた。

「我は隠れ里の稲荷である」

薬の効能なのか、全快した頼朝卿は以前よりも力がみなぎり、やがて天下を治むるに至った。

頼朝卿は恩返しすべく、畠山重忠に命じて稲荷翁を鎌倉中、探させ、よぅやく見つかったのが、当地であった。

頼朝卿は当地に稲荷翁を奉り立て、以来、この土地は佐殿(スケベ‥ではなく、”すけどの”!)と呼ばれた”頼朝卿を助けた稲荷として、「佐助稲荷」と呼ばるようになった。

‥‥‥という故事もあるのだが‥‥しかし、これはあくまでも俗説であって事実かどうは判然としない。

史実においては、南北朝時代末期頃に編纂された鎌倉大日記によると、1224年(元仁元年)の項に佐介流北条氏を系譜とする北条時盛(「佐助越後」とも呼ばれていた)が当地に屋敷を構えたことから、「佐介」と呼ばれるようになったと云われる。

これが有史上の「佐介」の初見とされ、後年、佐介が転化して現在の「佐助」に着地したとみられる。

  • 初穂料(値段):1000円
  • 頒布期間:2022年1月〜12月末日まで
  • 頒布枚数:2000枚(なくなり次第終了とのこと)
  • 当御朱印のサイズ:横20㎝ × 縦14㎝
  • 授与方法:書き置きの御朱印(自分で貼るか飾る)
  • 授与場所:佐助稲荷境内社務所

佐助稲荷で頒布されている御朱印一覧

‥については下記ページを要チェック💘

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佐助稲荷のお守りの種類

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