ちょっと特殊な参拝方法が存在する!!鎌倉・銭洗い弁天(宇賀福神社)での「小銭の洗い方(洗う理由)・見どころ」
鎌倉の銭洗弁財天(宇賀福神社)をご存知ですか?
急な坂道の上にあり、主なアクセス方法は徒歩!という不便な立地ながら、鎌倉の大人気パワースポットになっているんですよ!
以下では銭洗い弁天のご利益やお賽銭(お金)の洗い方や、参拝方法、御朱印の種類やお守りの他、拝観時間についてもご紹介しています。
項・一覧
- 1 ちょっと特殊な参拝方法が存在する!!鎌倉・銭洗い弁天(宇賀福神社)での「小銭の洗い方(洗う理由)・見どころ」
- 2 鎌倉 銭洗弁財天(宇賀福神社)
- 3 銭洗い弁天(宇賀福神社)の境内地図
- 4 銭洗い弁天(宇賀福神社)の拝観料金・拝観可能時間・場所
- 5 銭洗い弁天のちょっと風変わりな お参りの仕方
- 6 宇賀福神社で「小銭を洗う理由」と「銭洗いの起源」
- 7 銭洗い弁天のお金の洗い方(参拝方法)
- 8 銭洗弁財天でお金を洗うと、どんなご利益がある??
- 9 銭洗い弁天の正式とされる参拝方法(順路)
- 10 銭洗弁財天の境内の見どころ
- 11 銭洗弁財天の起源・由来・歴史
- 12 銭洗弁財天のご祭神と弁財天・宇賀神の関係は?
- 13 銭洗い弁天(宇賀福神社)へのお問い合わせ先
鎌倉 銭洗弁財天(宇賀福神社)
創建年
- 1185年(平安時代)
正式名称
- 銭洗弁財天 宇賀福神社
読み方
- ぜにあらいべんざいてん うがふくじんじゃ
御祭神
- 市杵嶋姫命
- 弁財天(宇賀神※ヘビの体を持つ神様)
銭洗い弁天(宇賀福神社)の境内地図
銭洗い弁天(宇賀福神社)の拝観料金・拝観可能時間・場所
拝観料
- 無料(但し、別途ザル代と線香代セットで100円が必要)
拝観可能時間(開門・閉門時間)
- 境内自由(8時から16時頃まで)
所在地
- 神奈川県鎌倉市佐助2-25-16
銭洗い弁天のちょっと風変わりな お参りの仕方
この銭洗い弁天(宇賀福神社)には、他の寺社ではなかなか味わえない、ちょっと特殊な参拝方法が存在します。
どんな参拝方法かは、もうすでにお分かりの方も多いと思われますが、ぬぅあんとぉぅっ!「お金をクソほどコスりたおして洗いまくり、クソほどご利益をたまわる」・・などという、少々風変わりな参拝方法が伝承されています。
宇賀福神社で「小銭を洗う理由」と「銭洗いの起源」
この宇賀福神社が”銭洗い弁天”と呼ばれる理由を述べるには、まず、銭洗い弁天の起源と創建の理由について知る必要があります。
宇賀福神社の銭洗いの起源
源頼朝が創建した説
1185年の巳の年、巳の月、巳の日の夜、源氏の総大将で有名な源頼朝がこの鎌倉の邸宅で寝ていたところ、夢に巳(へび)の神である「宇賀福神」が現れ、こう告げたようです。
「佐助谷(さすけがやつ/※鎌倉では”谷”を”やつ”と呼ぶ)に湧く霊水に私を奉じれば、たちまちのうちに天下太平、これ治まる」
神仏に対しての信仰心が人一倍そなわっていた源頼朝は、この夢告を信じて佐助谷に宇賀福神を祀る神社を造営します。これが今日みることのできる宇賀福神社の起源です。
北条時頼が創建した説
現在までで一般的に知られている説は、上述、源頼朝が創建した説であり、これが起源とされています。
ただ、地元鎌倉に残されている民話の1つに、北条時頼が創建したとされる説もあるようです。
この説によれば当時の(鎌倉時代)人々はお金を珍しがって、家宝として使用しなかったようです。
これでは貨幣を発行した意味がないので、困り果てた執権・北条時頼が、お金を使用させる目的でこの銭洗い弁天(宇賀福神社)を造営し、お金を洗って願掛けするパフォーマンスを見せて流通させたとのことです。
宇賀福神社で小銭(お金)を洗う理由
源頼朝が鎌倉幕府を開いてからしばらく経った後の「鎌倉幕府5代執権の北条時頼」が、ある時、こう言って小銭を宇賀福神社の湧き水で洗いながら、一族の繁栄を祈願したそうです。
「この水で銭を洗って清め、更に心身を清めて行いを慎めば、清浄の福銭となる」
以降、この信仰が時代を経るごとに庶民層にまで深く浸透し、銭洗弁財天でお金を洗うと金運が上がるという信仰が誕生することになります。
宇賀福神社の水は霊水だということ
なぜお金を洗うのか、洗えば良いなら自宅で洗っても同じではないか?
と疑問を持たれる方もいるでしょう。
でも、自宅で洗うのと神社で洗うのとは全然違います。
後述しますが、銭洗弁財天(宇賀福神社)に祀られる御祭神は、川を起源とする水の神です。
この「神が宿る」、あるいは「神が司る」銭洗弁財天の湧水は霊水(不思議な効能のある水)とされるため、効果が期待できるのです。
お金を洗うことで「お清めになる」ということ
洗うことでお金が増えるとされるのはなぜでしょうか。
水でお金を洗うことが、お金を増やすことに直結するわけではありません。
北条時頼は、銭を洗い、心身を清めることで銭が「清浄の福銭となる」と言っています。
つまり、神社に詣でる際に私たちが手水舎で手口を清めるように、けがれが付いた銭を霊水で清めることで、神のご加護を得られ、きっと運が向いてくるだろう、ということです。
清められたお金に、新たなお金が引き寄せられる・・かもしれないというわけです。
銭洗い信仰に火がついた理由
銭洗い信仰に火がついたもっともな理由は、ヘビの身体をした福徳のご利益をもつとされる”宇賀福神”への信仰に火がついたことにヒモ付きますが、宇賀神への信仰に火がついた理由としては次のような理由が述べられます。
【その1】「6回めぐった”巳”の年」
伝承によると北条時頼がお金を洗った年が正嘉元年(1257年)になるようで、頼朝が宇賀神の夢を見たという1185年から72年後、つまり干支が6回巡った巳年だったということです。
【その2】「”巳”の年、”巳”の月、”巳”の日、」
上記の源頼朝が霊夢を見た日の”巳の年、巳の月、巳の日の夜”と、”巳(ヘビ)”が重なる。
【その3】北条時政の目の前に現れた”巳(ヘビ)女”
ある日のこと、初代執権職の北条時政が同じ鎌倉の江ノ島弁天へ参拝したそうです。その夜、自宅縁側で月を見ながら手酌を傾けていたところ、高貴な服をまとった女が突如、目の前に現れたようです。
その後、その女は時政に北条一族の行く末(未来)について告知したのち、なんと!大蛇に変化して屋敷をスぅ〜っと煙のように出ていったようです。
その女が立っていた場所に光り輝く物が残されており、手にとってみると「3枚の鱗」だったようです。これを吉祥と感じた時政は3枚の鱗を家紋として用いることで、大蛇すなわちヘビ女を守護神としたとのことです。
ところで・・時頼は本当に「銭洗い」をしたのか?
時頼が本当にお金を洗ったかどうかはわかりませんが、その可能性はあります。
時頼の時代には宋から輸入した宋銭があったので、「銭洗い」ができたと考えられるからです。
しかし、宋銭をを使っていたのは一部の上流階級の人たちで、将軍や執権は使っていたかもしれませんが、一般市民の経済の中心は、まだまだ米でした。
ですから、貨幣を手にしていない人々は、もしかするとモミや米を洗って、金運向上ではなく豊作を祈願していたのではないか、という考え方もできそうです。
あるいは時頼自身が洗ったのも、本当は米なのかもしれません!
この「米洗い」の信仰が、貨幣経済が浸透すると共に、「銭洗い」に変わっていった、とも考えられています。
銭洗い弁天のお金の洗い方(参拝方法)
金運アップを叶えるためには、正しい手順に従ってお参りすることが大切です。
間違っても、お金を持って奥宮に直行することのないようにしてくださいね!
それでは、お参りの仕方、お金の洗い方を順番にご説明します。
1.手水舎で手を洗い身を清める
2.社務所で線香とろうそく(セットで100円)を購入し、お金を洗う時に使うざるを借りる
※線香とろうそくを購入しなくてもざるを借りることはできますが、できるだけ正しい参拝方法に従うのが良いでしょう。
3.本社に参拝する
- 本社の脇にあるろうそく台にろうそくを供える
- ろうそくの火を移した線香を、線香台に納める
- 線香の煙で身を清める
- 本社の前で拝礼する
4.奥宮に参拝し、お金を洗う
- 奥宮に入り、右手にあるお社を参拝する
- ざるにお金を入れ、霊水をひしゃくで3杯程度かける
- 洗ったお金をハンカチなどで拭いて財布に戻し、ざるは所定の場所に返す
素直で謙虚な気持ちでお参りすれば、神さまと通じると言われています。
せっかくお金を洗っても、頭の中が金銭欲でいっぱいな状態では、ご利益は期待できないということのようですよ!
えっ?!た、”生卵”をお供えするコースもある??
あまり知られていませんが、なんと!生卵をお供えすることもできるのです。
ほとんどの方が上記のようにザルとロウソク、線香をお供えしますが、境内の茶店で販売している生卵を購入してお供えすることもできます。
これは蛇の好物が生卵であることに由来するもののようですが、宇賀福神社さんによれば、この風習は巳の日に参拝した人に中に生卵を供える人がいて、それが常態化したようです。
よって、宇賀福神社さんでは案内していない特殊な参拝方法になりますが、より良いご利益を授かりたい方は是非!卵をお供えしてみてはいかがでしょう?
お金を洗う時のポイント!
- お金は落とさないように、必ずざるに入れて洗います。
- 紙幣でも硬貨でもかまいません。
- 水に浸したりざぶざぶ洗ったりする必要はなく、お金の端に霊水を静かにかける程度で十分です。
銭洗弁財天でお金を洗うと、どんなご利益がある??
特別な力のある霊水でお金を洗うことは、お金を清めることになります。
銭洗弁財天では、奥宮の霊水でお金を洗うことにより、お金が何倍にもなって返ってくると言われています。
お参りの際は、金運上昇はもちろん、商売繁盛、また、北条時頼が祈願したと言われる一族繁栄を祈願すると良いでしょう。
なお、洗ったお金は使って循環させた方が、ご利益があるとされています。
霊水で清めた貴重なお金ですが、神さまとのご縁に感謝して、清く正しく有意義に使ってください。
洗ったお金をお守り代わりに持ちたい方向けには、銭洗弁財天オリジナルの黄色い巾着財布が300円で販売されています。
通帳入れ、財布、小銭入れなどもあります。
洗った小銭はどうする?ご利益(効果)をより大きくする方法とは??
「巳の日に参拝する」
以上のようにありがたいご利益があるとされる銭洗弁財天への参拝ですが、実は月に2、3回(日)ある「巳の日」に参拝すると、より大きなご利益があると言われています。
宇賀神の縁日である巳の日、そしてその中でも弁財天の縁日にも当たる己巳日(つちのとみのひ)は、宇賀神や弁財天が祀られている場所を参拝するのには大変縁起のいい日とされ、銭洗弁財天も、普段よりも多くの人でにぎわいます。
巳の日は12日ごと、己巳日は60日ごとに巡ってくるので、曜日や日付が一定しているわけではありません。
カレンダーやインターネットで調べてから出かけてください。
また、巳の日は周辺に交通規制がかかり、神社の駐車場を利用できません。
タクシーも近くまで行けないので、注意が必要です。
境内も混雑し、お参りに列ができることもありますから、時間に余裕を持ったスケジュールを組んでくださいね。
洗った小銭は世の中のために残らず使用する!
銭洗い弁天さん(宇賀福神社)に直接お聞きしたところ、小銭は肌身に持つのではなく、世の中に福をバラまくつもりでたくさんの人々の幸せを願って使用すると、さらに効果(ご利益)は倍増するとのことです。
もちろん、所持されても良いわけですが、ここはダマされたと思って世の中のために使用してみるのも一計です。
銭洗い弁天の正式とされる参拝方法(順路)
1:入り口洞窟をくぐる→ 2:手水舎(手と口を清める)→ 3:千本鳥居のような連なった鳥居をくぐる → 4:社務所(ザルとロウソク、線香のセットを100円で拝受する) → 5:奥宮(神聖な清水が今も湧き出る)→
6:御本殿(海神で福の神・市杵嶋姫を祀る)→ 7:上之水神→ 8:下之水神→ 9:七福神社→ 10:奥宮※2回目(ここでザルにお金を入れて洗う。洗った小銭は持ち帰り、世の中に福を振りまくよう願掛けして使用する※基本、財布などに所持せず使用する)→
11:売店(休憩)→ 12:社務所※2回目(御朱印の拝受&お守りの購入など)
銭洗い弁天のお守りと御朱印に関しては以下の別ページにてご紹介しています。
銭洗い弁天(宇賀福神社)の お守りの「種類・初穂料(値段)・授与時間(営業時間)・授与場所」について
銭洗い弁天(宇賀福神社)の御朱印・御朱印帳の「種類・値段(初穂料)・授与時間(営業時間)・授与場所」
銭洗弁財天の境内の見どころ
お金を洗って金運アップを祈願しただけで帰ってしまってはもったいありません!
銭洗弁財天に行ったら、ぜひ境内にあるその他の見どころやパワースポットもチェックしてくださいね。
以下に、各見どころについて、簡単にご説明します。
入り口「鳥居と洞窟」
坂道を上ると、「銭洗弁財天宇賀福神社」という大きな石碑と、銭洗弁財天の入り口である鳥居と洞窟が見えます。
この洞窟は、かつては岩にくぼみがあるだけの洞窟でしたが、現在はくりぬかれてトンネルとなっています。
電灯の弱い灯りを頼りに薄暗いトンネルをくぐると、右手に手水舎があります。
まずはこちらで身を清めます。
更に鳥居と石畳の参道を抜けると境内の景色が開けます。
ご祭神を祀る「本社」
鳥居を抜けて、右手に祈禱受付と社務所、左手に売店と茶屋を見ながら進むと、「銭洗い」をする奥宮、その右手前に本社があります。
本社は小さなお社ですが、銭洗弁財天のご祭神「市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)」を祀る重要な場所なので、ぜひお参りしてください。
お参りに必要な線香とろうそくのセットは、社務所にて100円で購入できます。
お金を洗い金運アップを祈願する「奥宮」
この洞窟の湧水は銭洗水(ぜにあらいみず)と呼ばれ、江戸時代には「鎌倉五名水」の1つに数えられました。
この水でお金を洗い清めると商売繁盛や金運アップが叶うとされ、現在も多くの人が訪れています。
なお、奥宮には、宇賀神と弁財天が祀られています。
お金を洗う前にしっかりとお参りして、まずは心を清めるのが良いでしょう。
水の神を祀る「上之水神宮」と「下之水神宮」
奥宮から出て、境内を社務所を中心に時計回りに進んでいくと、左手に鳥居が現れます。
鳥居をくぐり、石段を上った先の自然の岩肌にめり込むように建っているのが、上之水神宮(かみのみずじんぐう)です。
上之水神宮の鳥居を出てまた少し歩くと、鳥居と赤い欄干の橋があります。
こちらが下之水神宮(しものみずじんぐう)の入り口です。
下之水神宮の裏側には湧水が一筋落ちる「一条の滝」があります。
これらの神社は、共に水の神である水波売神(みずはのめのかみ)を祀っています。
水波売神は、田んぼに水を引く灌漑用水や、生活用水、井戸の水を司る女神で、雨を降らせたり止ませたりする力があると言われています。
水は農業を始めとする諸産業のかなめなので、治水・豊水の他、商売繁盛を祈願するのも良いとされています。
七福神を祀る「七福神社」
日本人に馴染みの深い七福神を祀るこのお社は、銭洗弁財天の中でも本社・奥宮と並んで参拝者の多い場所です。
ここまでで、境内を1周したことになります。
出口「裏参道」
入り口の鳥居から、売店、茶屋などに沿ってまっすぐ行くと、また鳥居が並ぶ参道があります。
こちらは現在「裏参道」とも呼ばれていますが、入り口となっている洞窟がトンネルになる前は、表参道だった道です。
お帰りの前に、お守りを購入したり、茶屋で一息ついたりするのもいいですね。
銭洗弁財天の起源・由来・歴史
短くして「銭洗弁天」とも呼ばれる銭洗弁財天の正式名称は、「銭洗弁財天宇賀福神社」です。
この名前を見れば、以下のような「神社」だということがわかりますね。
- 銭を洗うとご利益がある
- 弁財天が祀られている
- 宇賀神(宇賀福神)が祀られている
つまり、仏教の弁財天と、神道の宇賀神が同時に祀られている神社なんです。
そんな銭洗弁財天の、起源や歴史についてご紹介します!
銭洗弁財天の 起源
銭洗弁財天の起源は、鎌倉幕府初代将軍の源頼朝の夢と関係があると伝えられています。
巳年であった文治元年(1185年)の、巳の月、巳の日のことです。
長い戦乱により市民の生活が苦しくなっていたことを嘆き、お祈りが日課となっていた頼朝の夢に老人の姿の宇賀神が表れ、こう告げました。
「北西の谷にある泉には福の神が住んでいる。水を使って神を祀り祈るようにすれば、平穏な世の中になるだろう」
頼朝は早速、この谷を探させ、その岩壁に湧水を発見し、洞窟を掘って宇賀神を祀りました。
この洞窟が、現在の銭洗弁財天の起源とされています。
ちなみに、「巳の月」とは旧暦4月のことを言います。
「巳の日」は、12日おきに巡ってくるので、1か月に2日ないし3日あります。
銭洗弁財天の歴史
上記のように、源頼朝が創建し、北条時頼が銭洗いの信仰を始めたとされる銭洗弁財天は、同じ鎌倉の扇ヶ谷にある相馬天王の末社でした。
創建に当たっては宇賀神を祀ったとされていますが、いつからか宇賀神と同一視される弁財天も祀るようになりました。
その後、江戸時代まではもっぱら銭洗弁財天の名前で親しまれていましたが、明治時代に入ると、神仏分離政策の影響で、「宇賀福神社」を名乗って市杵島姫命を祭神としました。
銭洗弁財天の本社に参拝する際、線香をお供えする、という習慣を不思議に思いませんか?
これは、神道と仏教の結びつきが深かった頃の名残なんですね。
銭洗弁財天は、昭和四十五年(1970年)、相馬天王から改称した八坂大神から独立し、今に至っています。
銭洗弁財天のご祭神と弁財天・宇賀神の関係は?
社名に「弁財天」と「宇賀神」を冠しながら、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)をご祭神とする銭洗弁財天の神様の謎について、ご説明します!
弁財天とは?
インドのサラスヴァティーという川を神格化した女神が仏教に取り入れられたのが、弁財天(弁才天・弁天)です。
一方で、七福神の一員の神としても信仰されています。
川を神格化したものということで、もともとは水や穀物を司る神でしたが、日本では、芸能、学業、金運のご利益がある神とされ、親しまれてきました。
初めは「弁才天」と書き、芸能や学業の才(才能)を司る神とされていました。
後に「弁財天」と書くようになり、金運(財運)向上を祈願する神さまとしても信仰されるようになったようです。
銭洗弁財天では、奥宮の祭神として、弁財天を祀っています。
宇賀神とは?
宇賀神(うがじん、うかのかみ)は、人の頭と蛇の体を持つ神様です。
彫刻などで表される際の頭部は、老父だったり、女性だったりと、一定していません。
ルーツやご利益については諸説ありますが、一説には弁財天と同じく、水や穀物の神だとも言われています。
川を流れる水と、長いからだをくねらせる蛇はイメージが重なりやすく、水の神は同時に蛇の神として描かれ、信仰されることもあるんです。
宇賀神は天台宗の教えに取り入れられ、後に、水や穀物の神として広く知られていた弁財天と、同一視されるようになりました。
私たちの前に現れる時の姿が2種類あるだけで、宇賀神と弁財天は同じ神だ、というわけですね。
この、同じ神の2種類の姿と考えられていた宇賀神と弁財天の、両方が祀られているのが、銭洗弁財天なんです。
もちろん、どちから一方のみを祀る神社もありますし、
弁財天がとぐろを巻いた宇賀神を頭に乗せて合体した状態の像を祀る神社もあります。
銭洗弁財天 のご祭神「市杵島姫命」とは?
銭洗弁財天では、奥宮と呼ばれる洞窟に弁財天と宇賀神を祀り、本社と呼ばれるお社に、ご祭神である市杵島姫命を祀っています。
市杵島姫命は、日本神話によると、天照大神(アマテラス)が弟神である須佐之男命(スサノヲ)の剣を嚙み砕いた時、噴き出した霧から生まれた宗像三女神と呼ばれる女神の中の一神です。
市杵島姫命は水の神で、しかも女神だということもあり、宇賀神と同じく、しばしば弁財天と同一視されます。
明治元年の神仏分離令の後、宇賀神を祀った神社の多くが市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)を祭神とする神社になりました。
銭洗弁財天もその一例ですが、市杵島姫命だけでなく宇賀神も祀っているということで、珍しい神社とも言えます。
銭洗い弁天(宇賀福神社)へのお問い合わせ先
- 住所:〒248-0017神奈川県鎌倉市佐助2-25-16
- 電話番号:0467-25-1081
スポンサードリンク -Sponsored Link-
当サイトの内容には一部、専門性のある掲載があり、これらは信頼できる情報源を複数参照し確かな情報を掲載しているつもりです。万が一、内容に誤りがございましたらお問い合わせにて承っております。また、閲覧者様に予告なく内容を変更することがありますのでご了承下さい。