福石・福石銘庚申供養塔と杉山和一の墓

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福石・福石銘庚申供養塔

福石

福石の名前の由来

ある時、江戸で鍼術を志した「杉山和一」という若者がいたのですが、一向に腕が上達しませんでした。

がっかりして失意のどん底を歩きながら、故郷である伊勢(三重県)への帰途につこうとしていた矢先、途中、この江の島へも立ち寄り、島内の岩屋に21日間籠もります。

そして、満願となった22日目に帰路につき、その途中にあった石コロにつまずいて転んでしまいます。

しかし、転んだとき、筒型に丸まった葉(竹の管とも)で、中に松葉が一本入っていたそうな。

これをヒントにして、管鍼(くだばり)術を考案したと言われます。

以後、この管鍼術を糧とし、さらに腕を磨きをかけ、1685年(貞享2年)には5代将軍綱吉の病を治すことに成功します。

この功績により江戸の本所一ツ目(現在の墨田区千歳1丁目)に邸宅を賜り、幕府の命令で鍼治講習所を開いています。

1692年(元禄5年)には関東総検校(中世・近世日本の盲官(盲人の役職)の最高位の名称)に任ぜられ、多くの門生を養成し、優秀な人材を多数、輩出しています。

‥‥以上のように石コロに転んだことがキッカケで管鍼術を思いつき、出世を果たしたことから、この石コロは福石と呼ばれるようになり、こうして現在でも大切にされています。

福石のご利益

なんでも、この石の周りで物を拾うと福が授かるとか。オホ

杉山和一の墓【藤沢市指定文化財】

同じ江の島の仲見世商店街の脇道を入ったところにある西浦港には、霊園があります。その霊園内に杉山和一の墓があります。

杉山和一とは?

杉山和一(1610年~1694年)は慶長15年、伊勢国に生まれの武将‥‥‥ではなく、人物。

幼くして失明して目を患い、鍼術を志して江戸へ出ましたが成功しませんでした。

その後、帰郷する運びとなり申したが、途中に江の島の岩屋に籠もって、管鍼(くだばり)術を創案したと言われています。

管鍼術とは、現代でいうところの鍼治療のことです。

杉山和一は、江の島弁財天信仰の敬虔な信者としても有名で、治療で得た財を元手にして、与願寺(現在の江島神社の前身となるお寺)の下之宮社殿改修、護摩堂・三重塔などを建立寄進しています。

元禄7年に没した後は、根岸の弥勒寺に葬られましたが、翌年の命日には江の島に墓が建立されています。この墓が杉山和一の墓です。

1963年(昭和38年)3月25日に藤沢市指定文化財にの指定を受けてい申す

福石銘庚申供養塔

1792年(寛政4年)に建立された庚申供養塔です。

「福石」とデカデカと刻字されい申すが、この刻字は後年に入れられたものです。

したがって、この塔が福石ではありません。

⬆️横面に「庚申供養塔」と刻字されている。

庚申供養塔とは?

庚申塔(こうしんとう)は、塔の建立に際して供養を伴った経緯から「庚申供養塔」とも呼ばれまする。 

もしくは、塚の上に石塔を建てることから庚申塚(こうしんづか)とも呼ばれます。

中国より伝来した道教に由来した庚申信仰の一環で建立された石塔でゴンす。

庚申講を3年と18回続けた記念に建立される例が多く散見されまする。

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