江島神社・辺津宮の石碑と灯籠一覧

最勝銘碑

1884年(明治17年)に建てられたも石碑。

東京大学でインド哲学を教えた曹洞宗の僧の原担山の撰による文言の刻字がありまする。

蟇石の石碑とガマ石

蟇石の石碑の手前にあるのが、蟇石(がまいし)です。

よく見るとガマ=カエルの形をしているのが分かり申す。

百度供養塚

1796年(寛政8年)、江戸下谷(現在の台東区下谷付近)の願主が36年かけて百度参りを達成した記念に建てた供養塚。

碑文

『ゆくとしや百度詣し豆の数』『花や鯛月ゆきつもる百度塚』

‥‥‥などが刻まれてい申す。

⬆️噂の噂の願主の名前の刻字が見える。….噂?




永代祭礼講碑

1898(明治31年)に建立。

永代祭礼講の講中の名が刻字されてい申す。

刻字されている内容は、藤沢のほか腰越津村、俣野村、六会村、明治村、深沢村、長尾村ほかの人々の名前です。

福石

福石のご利益

この石の周りで物を拾うと福が授かるとか。オホ

「福石」銘の庚申供養塔

1792年(寛政4年)に建立された「庚申供養塔」です。「福石」と大きく刻字されていますが、これは後年の追刻です。

江の島弁財天道標

形状は「尖頭型角柱」。三面に以下の刻字が見えまする。

「一切衆生」

 

「二世安楽」「ゑのしま道」

なお、これと似たような石碑が、敬虔な江の島弁天信仰の信者である杉山検校により、江の島道に48基建てたとされていますが、現在はこの1基を含め12基が確認されているのみでガンす。

また、建立された当初から当地にあるものかどうかは不詳とのこと。

いずれも1966年(昭和41年)に藤沢市指定文化財に登録されています。

宋国伝来の碑

江島縁起によれば、元久元年(1204年)に宋に渡った源実朝の使節「良真」が、持ち帰ったものと伝わる石碑でゴンす。

良真とは、江ノ島縁起の絵巻によれば、実朝に嘆願して辺津宮を建てたとされる僧です。

良真は、宋の慶任禅師より、江の島に因んで授けられたと伝えられる碑面の四辺を細線で刻画し、上方に左右から双竜形を陽刻し、「大日本国江島霊迹建寺之記」と篆書(てんしょ/古い書体の漢字のこと)されています。

碑名は摩滅して読むことができんせん。

このため1701年(元禄14年)に杉山検校の門弟・島岡検校が雨よけを寄進しています。

沼田頼輔の歌碑

  • 高さ:約50㎝
  • 形状:屏風型

この石碑は1961年(昭和36年)11月22日、沼田頼輔の二十八回忌に江島神社・宮司の相原直八郎、考古学者の石野瑛(武相学園)、郷土史家の内田輝彦・鶴田栄太郎らが建てたものです。

江の島唯一の歌碑でもありまする。

碑文

さながらに 生けるが如く 見まつりぬ

御神ながらも 肌ゆたかなり

これは紋章学者にして、歴史学・考古学の権威でもある「沼田頼輔」が妙音弁財天を讃えた歌です。

この歌は与謝野晶子の鎌倉大仏の美男讃歌と好一対とたたえられているほどの歌でゴンす。

沼田頼輔とはどんな人物なのか?

沼田頼輔(1867年~1934年)は神奈川県愛甲郡宮ヶ瀬の農家:山本喜三郎の次男で本名は頼助と申しまする。

後に沼田家の養子となった運びから「沼田」の性を名乗りまする。

のち、日本学士院賞を受賞。紋章学者として著作「日本紋章学」 が有名です。




菊和会記念碑

⬆️手前にはしめ縄で斎場が築かれている。中に入らないように要注意!

1909年(明治42年)に東京の楽器商の菊屋のグループが奉納した石碑になるとのこと。

浜千鳥模様が施された巾着袋に包まれた琵琶がキレイに描かれている。

銅鳥居前の石灯籠(常夜灯)

「文化5年(1808年)戌辰年 正月 吉祥日」の刻銘が見える。

 

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