鶴岡八幡宮「赤橋(太鼓橋/反り橋)」が架けられたのはいつ❓(歴史)と名前の由来を….知るつもりぃ❓

鶴岡八幡宮「赤橋(太鼓橋/反り橋)」

読み方

  • あかばし
  • たいこばし
完成年

1182年(養和二年/寿永元年)5月15日

再建年

1927年(昭和二年)

構造(造り)

  • 橋脚・橋桁:鉄筋コンクリート製
  • 橋床版・欄干:石製
  • 擬宝珠:青銅製

別名「宮寺橋」

吾妻鏡には三代将軍・実朝が大倉御所の南門から出御して横大路を西へ向かい、宮寺橋の手前で下馬したと記されており、現在までの研究では宮寺橋は赤橋を指すと云われる。

鶴岡八幡宮「赤橋(太鼓橋/反り橋)」の名前の由来

太鼓橋は、もともとは木造・朱塗りの橋だったので、鎌倉時代に架橋された当初、「赤橋(あかばし・あかはし)」と呼ばれていました。

赤橋(太鼓橋/反り橋)の大きさ(長さ)

『新編鎌倉志』には、橋の大きさについて、長さ五間(約9.1m)、幅三間(約5.5m)だったと記録されています。

鶴岡八幡宮「太鼓橋(反橋)」の歴史

鶴岡八幡宮の三ノ鳥居をくぐってすぐのところにあり、源氏池と平家池の間にかかっているのが赤橋(太鼓橋)です。

この橋は社伝(社務職次第)によると1182年(養和二年)5月15日に架橋されたとのこと。

将軍家が鶴岡八幡宮に参拝する際には、この橋で輿から降りたほどの神聖な橋だったと伝わる。(現在は通行禁止)

1218年(建保六年)6月27日、三代将軍・実朝は故・頼朝卿拝賀のためにこの橋の前で下馬しており、この橋こそが「上ノ下馬橋」だったとみられてい‥‥申す。タっ

源平池と同時に建造されたが、1923年(大正12年)の関東大震災で全壊し、1927年に鉄筋コンクリートなどを使って再建された。

自由に通行できていた時代もあり、フォトスポットとしても人気でしたが、現在は封鎖されてい‥‥ます。ふぅ

現在は渡れない橋ではありますが、鎌倉市内ではいずれも鶴岡八幡宮からほど近い「夷堂橋(えびすどうばし)」、「歌の橋」と共に「かながわの橋100選」の指定を受ける。

赤橋の左右にも橋がある!

赤橋が通行できない代わりの橋梁として、現在、赤橋の左右に橋が架橋されるが、当初は「平家を踏み潰す」という意味を込めて平家池側のみに橋をかけたという故事がある。




赤橋(太鼓橋/反り橋)の建築様式(造り)・特徴

橋脚は六角形

この太鼓橋はの橋脚をご覧になってみてください。

左右に回り込んで橋脚を見れば分かりますが、六角形の石造りの橋脚が9本組まれており、川底と橋部分となる筐体を支えています。

太鼓橋

太鼓橋(たいこばし)とは、 太鼓の胴のように上へ丸く反ったアーチ形の橋のこと。

この赤橋は、虹に似せたとも言われるように30度もの急勾配があり、その形状を横から見た時、名前の通り、太鼓の胴に見えなくもない。

⬆️足の小指を蚊に刺された後のカユさほど噂の「太鼓の胴」

30度もの勾配がついていると歩いて渡るのも一苦労、進んでは戻ることもシバシバ‥‥トホホ。

しクぁし!

封鎖される前は、その急勾配を利用して訪れた子たちが駆け上がったり、滑り落ちたりして遊ぶ姿が見られるなど、八幡宮のスポットかつ、魅力の1つだった。

太鼓橋ゆかりの「赤橋流」北条氏

鎌倉幕府の執権を代々務めた北条氏には「赤橋流」と呼ばれる家系がありました。

六代執権北条長時の子、北条義宗(よしむね)が当時、「赤橋」と呼ばれていた太鼓橋の近くに屋敷を構えたため「赤橋駿河守」と呼ばれ、彼の家系はその後、赤橋流北条氏と呼ばれました。(この当時の赤橋家の家格は得宗家並みの貴種とされた)

ちなみに、義宗の孫の守時は執権となりましたが、結果的には鎌倉幕府滅亡時の最後の執権となってしまいました。

和田合戦の舞台ともなった鶴岡八幡宮「太鼓橋(赤橋)」

1213年(建暦三年)5月、鎌倉幕府の第2代執権「北条義時」を中心とする勢力と、有力御家人で侍所別当だった和田義盛を中心とする勢力との衝突が起きました。

これを和田合戦と呼びます。

2日間に及ぶこの合戦の間、鶴岡八幡宮の参道、若宮大路とその周辺も激戦の舞台となりました。

戦いも佳境に差し掛かった頃、和田方についていた土屋義清が義時の本陣に攻め入ろうとこの太鼓橋(当時は赤橋)を渡ろうとした時、流れ矢にあたって討ち死にしたと伝えられています。

その矢が鶴岡八幡宮のお社の方向から飛んできたということで、まさに神が射た矢として、北条氏の方では随分と話題になったとのこと。

この和田合戦で和田氏とそれに加勢した土屋氏はほぼ滅亡し、勝利した北条氏は、鎌倉幕府における権力の基盤をより強固にしました。




鎌倉時代の参道は地下に埋もれていた?!

実は近年、赤橋前で公共下水道工事が実施されており、のぉあんとぉっ!地表下約180cmで敷石が発見されています。

この石を分析したところ、12世紀の石であることが明らかにされており、つまりは平安〜鎌倉時代の参道が約2mも地下に埋もれていることになります。

逆の言い方をすれば2mも土が盛られたことになりまする。…はてさて

太鼓橋は八幡宮境内のオススメ写真撮影スポット💘

自分の足で渡れないのは残念ですが、きれいなアーチ状の太鼓橋は今でも絶好のフォトスポットです。

武士の時代に思いを馳せながら、ぜひ注目してみてください。

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